エスペラント語Ⅳ
出典: Jinkawiki
エスペラント語
エスペラントは、なによりもまず「ことば」である。 100年をこえる実用の歴史がこのことを証明している。話し手の多少を問わず、どの民族語も調和のとれた美しい体系であるように、エスペラントもことばとして調和のとれた体系である。また、日本語や英語を大切に思う人がたくさんいるのと同じように、エスペラントを「自分のことば」として大切に思う人もたくさんいる。
しかし、民族語と同じ機能を持った「ことば」であると同時に、人間が知性の光をあてて磨き上げた国際共通(補助)語として、ほかにない特徴がエスペラントにはある。
学習者を悩ます不規則や例外ができるかぎり捨てられているので、比較的短期間の努力で、このことばの本質にいたることができる。
エスペラントを学習し実用する過程で、私たちは地球的な規模で物事を見る新しい視点を獲得する。
言語と文化の多様性は人類の宝である。だが、現状はその宝を、戦争や経済的な圧迫と屈従がむしばんでいる。ほかの民族を自分たちの支配下に置くのではなく、たがいに尊敬しあうことを目指すのが 21世紀をむかえる私たちの進路だとすれば、地球的な規模でものごとを見る公平な視点と、対等なコミュニケーションを可能にする中立言語が不可欠である。エスペラントが民族語を廃止し言語を統一するもの、という根拠のない誤解がまだ根強いが、その反対に、エスペラントは言語と文化の多様性を断固として守る「橋わたしのことば」である。
エスペラントは、ザメンホフ(Lazaro Ludoviko Zamenhof,1859-1917)によって、 1887年7月に発表された。ユダヤ人として激しい民族差別に苦しんだ彼にとって、「諸民族の対等な交流の手段としての中立言語」を作り上げることは、少年時代から一貫する人生のテーマだった。 試案として発表するだけなら、ザメンホフ以前にも以後にも「国際語」はいくつも作られている。そしてそれらのうちのほとんどは、流れ星のようにどこかへ消えてしまった。 まだ希薄ではあるとはいえ、エスペラントが地球の陸地表面全体をつつむネットワークに成長したのは、人生をかけてこのことばを開発し、発表と同時にこのことばについての著作権を放棄したザメンホフに、そしてまた「諸民族の平和と共存」という理想を分かち合い、普及運動に身を投じた先人たちに多くを負っている。 エスペラントのことばとしての基礎はこの人たちによって確立された。もはやどのような強大な力もエスペラントを圧殺することはできない。しかし、人類の共通語 --- 人間が対等に意思を疎通するための道具 --- を作るという、この壮大な実験は、まだようやくその第2段階に達したばかりでもある。だから、エスペラントを学び、実用し、普及活動に携わるすべての人が、今まさにこのことばを作りつつある、とも言えるのである。 エスペラントも一つの言語であるから、「英語を知っていると何の役にたち、 どんな得があるか」という質問に対する答えと、本質的には同じ答えしかないはずである。しかし、国際語という強みがあるから、英語支配の国以外へ行っても通用する点が英語とは違う。けれども、地球上の人間全員がエスペラントを理解するわけではないから、相手がエスペランティストでなければ通じないという点では英語と同じである。
エスペランティストは現在100万人と言われており、まだ少数だから同志的結束が固く、助け合う気持ちが強い。 Pasporta Servoというエスペランティストどうしの民宿組織はその一例である。私自身は、旅行のときにずいぶん助けてもらったし、趣味のシャーロック・ホームズに関する本を 34カ国のエスペランティストから180冊ほど送ってもらった。他の言語を使っても、クロアチア語、ウクライナ語やヘブライ語の本を集めることはできまい。 そのような実利的な面でのプラスはいろいろあるが、その他の精神的なプラスの方がずっと大きいと思う。国際的な視野を持つことができるし、民族差別や人類解放にも敏感になる。邦訳のない小国の文学を読むこともできる。生涯学習の一環として自分を啓発することもできる。自分の自己実現に利用して、生きがいを得ることができる、など。 他の外国語を学ぶ時の、単なる語学趣味とは 一味違った面をどのように活かすことができるかは、各個人の考え方によって大きく異なってくる。この点、先輩エスペランティストがどのように生きたかを見れば、学ぶところが多い。
引用:[[1]]
hn:osushi