東方正教
出典: Jinkawiki
概要
ビザンティン帝国のキリスト教会を起源とする一連の教会の総称。〈カルケドン信条〉(451)を教義の基盤とするので,東方のカルケドン派教会と呼ぶこともできる。日本ではギリシア正教の名称がよく用いられるが,これは現在のギリシアの正教会(ギリシア正教会)と混同されるおそれがある。なお,〈カルケドン信条〉を受けいれなかったネストリウス派教会,単性論派教会は東方教会ではあるが,正教会には含めない。東方正教会は,おもにロシア(ロシア正教会),東欧,バルカン半島,西アジアに分布し,それぞれが総主教または大主教(ギリシアの場合)のもとに完全な自治を有する独立教会を成す。
歴史
中東の非ギリシャ語圏のキリスト教徒の多くが、カルケドン公会議の決定を拒否したことと、8世紀以降、キリスト教の成立地のほとんどが長い間イスラム教の支配下にあったことから、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレムの総主教たちは、過去の栄光の影のような存在となってしまった。 それに比べれば、コンスタンティノープルは、中世のほとんどの期間、キリスト教におけるもっとも重要な中心地としての地位を保ち続づけた。
ビザンティン帝国の有名な宣教師であるキュリロスとメトディオスは、864年ごろ聖書と典礼用式文をスラブ語に翻訳した。 その結果、数多くのスラブ人がビザンティン帝国の正教会に改宗した。 元々トルコ系だったブルガリア人も、864年には正教を受け入れ、次第にスラブ化されていった。 988年に集団洗礼を受けたロシア人は、1448年までコンスタンティノープル総主教の管轄下にあった。 セルビア人が独立した総主教庁をもったのは、1219年のことである。