奴隷貿易
出典: Jinkawiki
2013年8月8日 (木) 02:19 の版; 最新版を表示
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奴隷貿易は当初、いち早く「地理上の発見」に乗り出しアフリカ西岸に奴隷集積地を確保していたポルトガル人によって担われた。アフリカに拠点を築けなかったスペインは16世紀末、請負契約「アシエント」によって黒人奴隷の安定供給を目ざしたが、これは18世紀後半まで続いた。しかし、そのほかの西欧諸国は、スペインによるポルトガル併合に乗じてブラジル北東部を支配したオランダをはじめ、自国領植民地での砂糖生産の増大とともに次々と奴隷貿易に進出していった。とくにイギリスは、王立アフリカ会社(1672設立)を軸とした独占事業の試みが行き詰まると、17世紀末からは個人商人の手にゆだねたうえ、1713年ユトレヒト条約でフランスを退けてスペインのアシエントを獲得し、奴隷の販路を自国領植民地以外にも拡大していった。その結果、17世紀にはロンドン、ブリストル、18世紀にはリバプールが奴隷船の母港として興隆すると同時に、イギリス(綿布、銃・火薬、ビーズ玉などの装飾品)→アフリカ(奴隷)→西インド(貴金属、粗糖、綿花)→イギリスという、大西洋を囲む三角貿易の核として致富を遂げたのである。
参考文献 『世界史B用語集 』 山川出版社
HN ちゃんぽん