百年戦争2
出典: Jinkawiki
百年戦争とは、フランスの王の座をヴァロワ朝フランス王国とランカスター朝イングランド王国が争い行った戦争である。
目次 |
戦争の始まり
百年戦争の始まりは、当時フランスの王であったシャルル4世が死んだことによるものだとされている。シャルル4世には男子の跡継ぎがおらず兄弟もいなかった。そこで、イギリス国王エドワード3世、ナヴァル国王フィリップ・デヴリア、ヴァロア家のフィリップ6世の3人が王位をめぐり争ったことからはじまった。一時はヴァロア朝のフィリップが王位についたが、他の2人は諦めなかった。
当時のフランス情勢
イギリス兵はフランスの領土を占領すると、同時に略奪を目的としていた。そのため農民は苦しい生活をしいられていた。 さらには、黒死病も流行した。黒死病とは1348年から1350年にかけて、ヨーロッパ全土で流行した病気である。当時は治療法はなく、呪いであったり、悪魔の仕業であると考えられていた。この病気により20パーセントから25パーセントの人が死亡したと考えられている。
ジャンヌ・ダルクの出現
ジャンヌ・ダルクはシュンパーニュ地方のドレミンという村に生まれた。神の命令を受けたとして現れ、フランスのヴァロワ家に仕えた。ジャンヌ・ダルクの戦いの中でも一番有名な戦いがオルレアンの戦いである。この戦いでジャンヌ・ダルクは槍小隊を率いて、イギリス軍の砦の一つを破った。これが戦況を大きく変え、勝利した。しかし、戦争後、ジャンヌ・ダルクは神からの使いではなく魔女であるとされ、処刑される。
kiba
カレーの市民
カレーの市民とは、オーギュスト・ロダンによる著名な彫刻のひとつである。百年戦争時の1347年にイギリス海峡のフランス側の重要な港町「カレー」がイギリス軍によって一年間包囲された事件、「カレー包囲戦」についての作品である。1888年に完成された。 当時のイングランド王エドワード3世は、クレシーの戦いで勝利を収めた後にカレーを包囲した。フランス王フィリップ6世はなんとか持ちこたえるようカレーに命令したのだが、飢餓のため降伏を余儀なくされた。エドワード3世は「カレーの主要なメンバー6人が自分のもとに裸で首に縄を巻き、城門の鍵を持って歩いて出頭すれば、他のカレー市民は救う」ともちかけたところ、勇敢な6人のカレー市民がその通りに出頭したのである。 まず名乗りをあげたのはカレーの指導者、ウスタシュ・ド・サン・ピエールである。その後彼に続くようにジャン・デール、ジャック・ド・ヴィッサン、ピエール・ド・ヴィッサン、ジャン・ド・フィエンヌ、アンドリュー・ダンドルの5人の市民が名乗り出た。この6人の処刑は避けられないことであろうと誰もが感じていたとき、エドワード3世の妃、フィリッパ・オブ・エノーが「生まれてくる子供に殺戮は悪影響を与える」とエドワード3世に説得したために、処刑は中止された。このことがカレー市の勇敢な6人の逸話として語り継がれ、ロダンの名作「カレーの市民」が誕生することとなったのである。
HN:くるくる