ハロウィン
出典: Jinkawiki
←前の版 | 次の版→
目次 |
概要
ハロウィン(Halloween)とは元々スコットランドやアイルランド等、ヨーロッパ広域に住んでいたケルト人の祝日のことである。ケルト人の1年には季節が2つしか存在せず、それは11月から5月までの冬、6月から10月までの夏である。ケルト人にとって10月31日は1年の終わりであり、11月1日が1年の始まりであった。ケルト人は11月1日をサムハイン(夏の終わり)と呼び、10月31日の夜にはサムハイン祭を催した。サムハイン祭とは、新しい冬・1年を迎える祭で、1年の収穫を祝い、死者の霊や悪霊を弔った。古代のケルトで生まれたドルイド教では、新年の始まりは冬の季節の第1日目である11月1日に行われるサムハイン祭であった。サムハイン祭では、ドルイドの祭司たちが火を焚いてそれを各家庭に与えて回った。それを受け取った者らが家のかまどに火をつけて、悪さをする妖精や悪霊を追い払ったため、ハロウィンにおける火は非常に重要な役割を果たすと考えられていた。
現在のハロウィンでは、ジャック・オー・ランタン(かぼちゃを顔状に刳り貫き、その中に火を灯した蝋燭を入れたもの)を作って飾ったり、仮装した子供たちが町中を歩き回り、「トリック・オア・トリート(=お菓子をくれないといたずらするぞ)」と言って、近所の家々からお菓子をもらったりするのが一般的である。
キリスト教の介入
元々ハロウィンはキリスト教の祭典ではなかったが、キリスト教の宣教・伝播に伴って、サムハイン祭がキリスト教に取り込まれ、諸聖人の祝日(万聖節)(11月1日)の前夜として位置づけられた。諸聖人の祝日は、元々東方教会で始められたものとされ、4世紀以来聖霊降臨祭後の最初の日曜日にすべての殉教者をまつる習慣があった。しかし、西方教会では、ボニファティウス4世が609年5月13日にローマのパンテオンをキリスト教の聖堂とした以後、この日を全殉教者の祝日とした。837年、ローマ教皇グレゴリウス4世がこの習慣を認め、11月1日を諸聖人の祝日と定めた。
現在のキリスト教会では、ハロウィンはキリスト教的な要素をあまり含んでいないとしている。
日本でのハロウィン
本来ハロウィンというのはケルト人やキリスト教の文化的な要素から生まれた習慣が多く、宗教的性格が色濃いが、日本でのハロウィンは、宗教的な性格はほぼ存在せず、娯楽行事として人々に楽しまれている。ハロウィンが日本で祝われるようになったのは最近のことであるが、これは商業主義と結びついて盛り上がりを見せるようになったと考えられる。本場のハロウィンのように、子供たちがお菓子を求めて仮装して街を歩き回るといった習慣はあまり根付いていないが、日本独自に地域の祭において仮装パレードを行ったり、テーマパーク等でイベントを行ったりしている。
世界でのハロウィン
ハロウィンの本場はアメリカであるが、ここでも宗教的なイベントというよりも大衆文化に反映したイベントとしての性格が色濃い。アメリカの他にもイギリス、カナダ、アイルランド、ニュージーランド、オーストラリア等、ヨーロッパやヨーロッパ系移民の多い国で盛大にハロウィンは行われる。
ハロウィンを盛大に行う国であってもキリスト教・カトリックやプロテスタントを信仰している場合、ハロウィンを行う10月31日よりも、翌日11月1日の諸聖人の祝日を重要視することがある。また、ハロウィンはケルト人由来の祭日であるため、ハロウィン自体を禁止し、行わない国・地域も存在する。
参考文献・参考資料
『シリーズ世界のお祭り7 ハロウィン』ロビン・メイ 同朋舎
ハロウィーンガイドhttp://harowin.com/
tome.