尖閣諸島3
出典: Jinkawiki
←前の版 | 次の版→
目次 |
概要
尖閣諸島とは、魚釣島・北小島・南小島・久場島・大正島等の5つの島、沖の南岩、飛瀬等の小さな島々の総称。東シナ海上にあり、沖縄県石垣市に属している。尖閣諸島内で最大の島である魚釣島は、石垣島の北西約170キロメートルに位置し、台湾からもほぼ同じ距離にある。中国大陸からは約330キロメートル離れている。総面積は約5平方キロメートル。
歴史
1884年(明治17年)に現在の福岡県八女市の実業家、古賀辰四郎氏が開拓を行い、尖閣諸島の国有地、貸与を申請。その後、沖縄県による現地調査で無人島であること、中国・清朝を含めたいずれの国の管理下ではないことを確認。これにより1895年、日本は尖閣諸島を正式に日本の領土として編入することを決定。翌1896年4月1日、尖閣諸島を沖縄県八重郡に編入。魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島を国有地とし、次いでこのうち大正島を除く4島を古賀氏に30年の期限付きで無償貸与した。古賀氏は尖閣諸島に多額の資本を投資し、桟橋、船着き場、貯水場などを建設。また、海鳥の保護、植林、実験栽培などを行い、開拓事業を発展させた。1909年の時点で99世帯248人が島で生活し、羽毛の採集、海鳥の剥製、鰹節の製造等の事業を経営していた。現在はいずれの島も無人島である。
中国・台湾の尖閣領有権の主張のきっかけ
1971年(昭和46年)12月、中国は外交部声明を発表し、日本の尖閣領有を激しく非難した。台湾も同年6月に既に外交部声明を発表していた。これは日本が尖閣領有決定の発表をしてから約76年後のことである。突然非難するようになったのは次のことが要因とされる。1968年、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が東シナ海海底の学術調査を行い、翌1969年、東シナ海海底に多くの石油が埋蔵されている可能性が高いことを発表した。この調査結果に刺激されたことにより、台湾、中国が尖閣領有権を主張し始めたのである。
中国の領有権の主張
・日清戦争(1894~1895年)において、清朝政府に日本政府が圧力をかけ、1895年4月、台湾とそのすべての付属島嶼および澎湖列島(尖閣諸島を含む)の割譲という不等条約(馬関条約)をむりやり調印させ、これらの島嶼をかすめとった。
・1943年のカイロ宣言、1945年のポツダム宣言を日本は受諾したことにより、日本が略取した台湾や台湾に付属するすべての島嶼(尖閣諸島を含む)を放棄したのだから、これらは中国に返還された。
・サンフランシスコ平和条約に中国は関わっていないため、そこで決定された事項は認めることはできない。
日本の領有権の主張
・尖閣諸島は1884年古賀氏が開拓した後、現地調査をした際にいずれの国にも属していないことを確認して日本に編入・領有したのだから、これは国際法上の「先占」にあたるとしている。
・サンフランシスコ平和条約に規定されている、中国から割譲した台湾とそのすべての付属島嶼および澎湖列島の放棄には尖閣諸島は含まれていない。
・サンフランシスコ平和条約第3条により、尖閣諸島は南西諸島の一部としてアメリカの施政下に置かれ、1972年の沖縄返還協定によって日本に尖閣諸島も返還された。
参考文献・参考資料
『解決!すぐわかる日本の国境問題』山田吉彦 海竜社
外務省 日本の領土をめぐる情勢 尖閣諸島 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/index.html
尖閣諸島の領有権、日本の主張と中国の主張 http://matome.naver.jp/odai/2134536780334484101
tome.