プラトン2
出典: Jinkawiki
←前の版 | 次の版→
古代ギリシアの大哲学者。 ソクラテスから受けた決定的な影響のもとに〈哲学〉を一つの学問として大成し、その後の西洋的な知の構造を制約し続けてきた。それは、現象を理解する際の論理的な方法であり、また世界の本質を理念的なものとしてとらえる態度であるといえる。イデア論を根本とする彼の理想主義哲学は,弟子アリストテレスの経験主義,現実主義の哲学と並んで,西欧哲学思想史の全伝統を二分しつつ,はかりしれぬ影響と刺激を与えている。 アテナイの名門の家柄に生まれた。父はアリストンAristōn,母はペリクティオネPeriktiōnē。かなり年長の兄にアデイマントスAdeimantosとグラウコンGlaukōn,姉(または妹)にポトネPōtōnēがいて,彼女の息子スペウシッポスSpeusipposが,プラトンの死後アカデメイアの学頭を継承する。
哲学の動機
プラトンの哲学の動機は、ソクラテスを死に追い込んだアテネ(ギリシア)社会だった。アテネ社会の法律家たちがソクラテスを裁判で有罪判決で死刑に追い込んだ。悪い事の基準は、状況や場所によって変わるという法律家たちのこのような考えに反対して、プラトンは悪い事の判断をする確かな基準、人によっても場所によっても変わらない永遠で絶対の判断基準を見つけ、それをイデア論という形にしたのである。詳しく言うと、プラトンは、良い事、正義という何かしら永遠で絶対に変わらないものがどこかにあって、人間はこのイデアによって、良い事悪い事を正しく判断することができると考えた。
イデア論
プラトンは、ソクラテスが考え出した哲学を基本として、本当の知識とは何かを研究し、イデア論と呼ばれるものを考え出した。 一般的にプラトン主義とは「永遠の真理」「永遠の善」「永遠の美」の3つを指している。イデアとは、個物、すなわち個々のものが形成される原型となるものだ。ソクラテスのいう美そのもの・善そのものといったものは、美のイデア・善のイデアとして存在しる。イデアは永遠不変のものであり、またそれらは集合してイデア界を構成している。プラトンはイデアに関してのみ、知識は可能であると考えた。
アカデメイア
そして哲学の内実を確立するため、自分の理想と目的にかなった教育活動を行う施設の「アカデメイア」と呼ばれる学園を創設し、さらに著作活動を通じて、自分自身の哲学思想を発展し世に問うことであった。プラトンのアカデメイアは「門答・対話の術」を学ぶための予備学問として、数学的諸学科―算数・幾何学・天文学・音楽理論など―が最重視されたことが特色となっている。学園アカデメイアは地中海世界の核方面から人材を集めて。学問研究の中心となるとともに、各地の都市国家の政治や法律起草の実務に当たる人物を輩出したのである。
参考文献
プラトンの哲学 岩波新書:新赤版 藤沢令夫著
プラトン入門 ちくま新書 竹田青嗣著
[1] プラトン―哲学入門
[2] プラトンとは―コトバンク
[3] プラトン哲学の諸源泉―知の快楽―東京を書く
[4] プラトン
ハンドル名:奈良