レバノン
出典: Jinkawiki
岐阜県ほどの面積の小国で、人口は350万人。西は海に面しでいるが、狭い平野を横切ると、すぐに一千キロメートル級の山岳地帯となり、冬には雪に覆われる。「レバノン」という国名は、古代に使われていたアラム語という言葉で「白いもの」を意味する。年中暑い国が多い中東では、雪は珍しいので、レバノンの国名は「雪国」という意味になった。
分断国家
山が多いレバノンは昔から、時の権力者の支配が及びにくい場所で、いくつもの少数民族が住んでいる。その最大のものは「マロン派キリスト教徒」と呼ばれる人々である。マロン派とギリシャ正教、カトリックなどとの違いは、「イエス・キリストは人間か神か」という部分の教義についてなのだが、マロン派の人々のアイデンティティーの重要な部分は、教義の違いではない。レバノンの山岳地帯に住んでいたがために、4,5世紀に他宗派のキリスト教勢力がギリシャ正教に統合された時も、7世紀にマホメットのイスラム勢力が中東の多くの人々を改宗させた時も、時代の変化に流されてしまうことなく、旧来の社会的地位や信仰を維持することができたという点が重要である。 マロン派は、レバノンの人口の20%を占める。そのほかレバノンにはイスラム教の中の「密教」に例えられるドルーズ派イスラム教徒が8%いる。これらの勢力はレバノンの山の中に住んでいたため、他のメジャー系勢力に同化せず、民族的に生き残ってきた。
レバノンには、メジャー系の勢力もいる。イスラム教徒ではシーア派が35%、スンニ派が22%を占め、キリスト教側では、ギリシャ正教徒が国民の8%を占めている。こういった複雑な社会構成の上に、19世紀末にフランスが軍隊を派遣してきて、レバノンを植民地にしていった。キリスト教徒の国であるフランスは、自国と同じキリスト教徒の勢力を信頼し、ここに西欧寄りの国を作るべく、イスラム教徒が圧倒的に多いシリアから、レバノンを分離した。ところが、社会規範の違いから、キリスト教徒よりイスラム教徒の方が出生率が高く、イスラム教徒の人口が増えて、マロン派キリスト教徒ではなくスンニ派イスラム教徒が最大勢力になってしまった。 このため、レバノンは1944年に独立したのち、表向きは西欧的な民主主義体制を作ったものの、大統領はマロン派キリスト教徒、首相はスンニ派イスラム教徒、国会議長はシーア派イスラム教徒、外務大臣はギリシャ正教のキリスト教徒、という風に政府に重要ポストを各勢力間で固定する談合体制をとらざるをえなかった。人口構成の変動が明らかになると、各勢力間で新たな紛争になるので、国勢調査も長いこと実施されていない。shuto
参考文献
「イラクとパレスチナアメリカの戦略」光文社新書 田中宇