ギリシャ経済危機
出典: Jinkawiki
概要
2009年に、ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ政権に交代した際、前政権の深刻な財政赤字が明るみに出たのが発端とされる。 ギリシャの財政赤字は、GDPの4%程度であると発表していたが、実際は13%近くに膨れ上がっており、債務残高も国内総生産の113%にのぼっていた。 2010年の欧州会議で財政状況の悪化が表面化した。同年、3カ年財政健全化計画にて、財政赤字をGDP比2.8%に抑えると発表したが楽観的な経済成長が前提にあったことなどから、ギリシャの国債に対する格付けが引き下げられギリシャ国債が暴落した。 これらの問題からギリシャはユーロ圏の各国に経済支援を求めたが、各国の足並みが揃わず、またスペインやポルトガルも経済難に苦しんでいたため、こうした国への影響も考えられた。 その後2回にわたり総額2400億ユーロにのぼる支援がなされている。
財政緊縮策の受け入れ
2015年、具体的な内容は不明ながら歳出の削減と歳入の増加からなる財政緊縮策について示された提案が欧州連合(以下EU)から出される。この提案に対し、ギリシャのチプラス首相は提案の内容が国民に痛みを強いているという理由で見直しを要求。EU側はこの反発に対し日本円にして1兆円の融資を凍結した。 同年、EU側が求める財政緊縮策の受け入れについて賛否を問うギリシャの国民投票が7月に行われた。
参考
ギリシャ国民投票 続く NHKニュース[1] ギリシャ危機とは|金融経済用語集 - iFinance[2]
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