白虎隊2
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目次 |
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白虎隊について
1868年、鳥羽伏見の戦いの後、会津藩はフランス式の軍制に変え、玄武隊、青龍隊、朱雀隊、白虎隊の年齢別による組織をつくり、力を注いでいた。 会津藩校日新館に会津藩の男子は10歳から入学する。日新館の16歳から17歳の少年達で編成されたのが白虎隊である。 もともと玄武隊、白虎隊、幼少隊は、青龍隊、朱雀隊の予備に廻るという布陣であった。なので、白虎隊は戦闘にでる予定はなかったが、しかし、戊辰戦争が始まり会津が戦場になることで白虎隊に出陣命令が出された。 そのあと、白虎士中二番隊は炎に包まれた鶴ヶ城を見ながら、飯盛山で自害したのである。
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白虎隊の構成
白虎隊は、約340名で構成されていた。
・士中一番隊から二番隊 各50名前後
・寄合一番隊から二番隊 各50名前後
・足軽一番隊から二番隊 各50名前後
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正規兵の部隊名
・朱雀隊 「南の守護神」「夏、前、赤、火」の意味がある。
・青龍隊 「東の守護神」「春、左、青、木」の意味がある。
・白虎隊 「西の守護神」「秋、右、白、金」の意味がある。
・玄武隊 「北の守護神」「冬、後、黒、水」の意味がある。
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飯沼貞吉
自害した白虎士中二番隊の唯一の生存者であり、白虎隊伝説を語り残した人物。
参考文献
会津日新館 白虎隊について http://www.nisshinkan.jp/byakkotai