マーティン=L=キング

出典: Jinkawiki

2015年7月28日 (火) 11:49 の版; 最新版を表示
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マーティン=L=キング

マーティン=L=キングはアメリカ史上、奴隷解放以来最大の社会変革をもたらした公民権運動に参与した人物である。アメリカ合衆国における人種偏見を終わらせるための「非暴力抵抗運動」を理由にノーベル平和賞を受賞した。


目次

生い立ち

1929年1月15日、ジョージア州アトランタ、オーバーン街のエネザーバプテスト教会の牧師館で生まれる。15歳で黒人バプテスト教会の説教者となったが、後にアトランタに出て鉄道の機関助手やトラック運転手等をしながら高校を卒業。モアハウス大学を卒業後、神学の学位取得のためにペンシルヴァニア州チェスターにあるクローザー神学校を経て、1955年ボストン大学神学部大学院卒業し、博士号を取得した。そしてアラバマ州モンゴメリー市に移り、バプテスト教会の牧師となった。


スピーチ

マーティン=L=キングは1963年8月28日のワシントン大行進においてリンカーン記念塔の前で演説を行なった。「 I have a dream. 」(私には夢がある)という言葉を繰り返している。このスピーチは人種差別の撤廃と人種の調和を求める有名なスピーチであり、多くの共感を得た。


公民権法の成立とノーベル賞の受賞

 1964年7月2日にジョンソン大統領の署名によって成立したのが「1964年公民権法」である。これは南北戦争後の再建期以来初めての最も包括的な公民権立法であり、その規程の中には黒人に対する大幅な投票権と公共施設への接近の保障、司法長官へのそれら施設の人種隔離撤廃の告訴権の承認および連邦政府資金による諸計画で差別撤廃を推進しないものへの資金援助の停止、等を含んでいた。  同年10月14日、1964年度ノーベル平和賞受賞の知らせが届き、12月10日受賞した。この受賞を個人の栄誉とはとらえず、2,300万アメリカ黒人の自由獲得のための公民権運動の評価と考えていた。

暗殺とその後

 1968年4月4、日マーティン=L=キングはテネシー州メンフィス市で労働者のストライキを支援していた。そしてその日泊まったモーテルのバルコニーでジェイムズ=アール=レイにより暗殺された。39歳というあまりにも早い死だった。しかしこの裁判において99年の懲役を宣告されるも彼の単独犯と判断するには不審な状況証拠が多く真相もなおはっきりしていない。 マーティン=L=キングがアメリカ社会に与えた思想的影響の大きさと深さは評価されている。それゆえ、1986年から実施されているマーティン=L=キング記念国民祝日という彼の誕生日を祝福する祝日がある。彼の一生と彼の残した業績を称えるものだ。毎年この日には、追悼式が開かれたり、人種差別、平等、平和を教えるためのイベントが行われている。


参考文献

・梶原寿『マーティン=L=キング 人と思想』清水書院

HN:YT


  人間科学大事典

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