日本刀の歴史

出典: Jinkawiki

2015年7月28日 (火) 22:44 の版; 最新版を表示
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目次

弥生時代から奈良時代

弥生時代の銅剣は両刃の剣が主流で、鎬のない平造と呼ばれる形式の刀も登場する。

古墳時代以降は時代が進むにつれ、鎬筋が刃に近い部分にある切刃造が生まれた。この時点では、まだ刀身に反りのない直刀であった。斬ることよりも刺突を目的としていたと考えられる。

飛鳥時代以降になると、刃文をはっきりと確認できる刀剣が出現した。

奈良時代以降の刀剣は上古刀と呼ばれ、一般的な日本刀とはやや異なっている。 「日本刀」という言葉が初めて見られるのは北宋時代の詩であり、日本では奈良時代後期にあたる。


平安時代から鎌倉時代

平安時代前期から中期にかけても、主流は反りのない直刀であった。しかし、平安初期に作られた小烏丸という刀には反りが確認されている。また、それまでは刃に近い部分にあった鎬筋が刀身の中央寄りに移動している。

平安時代中期になると、次第に反りをもつ刀が増え、切刃の幅も広くなっていく。鎬造で反りのついた刀が普及したのは、平将門が関東で反乱を起こした10世紀ごろと推測されている。

武家の勢力が増してきた平安時代末期には刀の需要が高まり、良質な砂鉄が取れる伯耆国や政治文化の中心地である山城国・大和国など、作刀に都合の良い地域に刀工達が集まり始めた。刀工が集団化し、多数の流派が生まれたことに伴い、刀の様式と性能はさらに発展する。同時に刀装も武家と公家ではっきり分かれ、武家は毛抜形太刀という実戦向きの刀を、公家は飾剣(かざたち)や細剣(ほそたち)という装飾性の高い刀を持った。

度重なる戦と刀工たちの工夫によって、鎌倉時代の刀はさらなる発展を遂げた。刀身はより長大に、反りも腰反りから中反りへと変化。身幅が広く重ねも厚く頑丈になり、鋒は長さが詰まって猪首鋒(いくびきっさき)と呼ばれる勇ましい形に変化した。拵も堅牢さを第一とした実践的なものが好まれた。


南北朝時代から室町時代

鎌倉時代末期に起きた文永・弘安の役は武士だけでなく、日本刀にとっても一つの転機だった。当時の刀は焼き幅の広いものが好まれたが、これは乱戦時に何度も太刀を合わせると折れやすくなる弱点があった。そのため、備前の刀工・景光などはこの時期を境に、直刃で焼き幅の狭い作風に変化したと言われている。刀身は身幅を広く、重ねを厚くしてより堅牢になっていった。

南北朝時代に入り、幕府体制の崩壊から各地で動乱が起こり、刀の需要はさらに高まった。刀の性能が向上するとともにその大きさも鎌倉時代の姿をさらに豪快にしたものとなり、どんどん長大化していった。これには、戦闘様式が弓馬を使った一騎打ちから集団戦闘に移行したことも影響している。南北朝時代の太刀は通常のものでも三尺近い大ぶりな太刀であったが、その長さを上回る野太刀や大太刀という刀も出現した。また、武器が長大化することによって「鎧通し」と呼ばれる組打ちの際に扱いやすい短刀も出現した。鎧通しは身幅が狭く反りの無い分厚い短刀で、鎧の隙間から突き刺すことを目的とした短刀である。

南北朝時代の騒乱が収まり室町時代初期を迎えると、安定した政権の下で大きな武器は不要とされ、刀は腰反りのついた優美な姿へと変化したが、室町幕府の政権は長くは続かず再び乱世へ突入する。


安土桃山時代から江戸時代

戦国時代に生じた刀の変化としては、帯で腰に「佩く」太刀から抜打ちが容易な腰に「差す」打刀に変化したことが大きい。室内での戦闘も考慮して大小二本の刀を使用するようになったのもこの時代である。当時の主流となった集団戦闘において、長くて重い大太刀は動きにくく疲れやすいため次第に廃れてゆき、軽量で装備にも時間のかからない打刀が使われ始めた。

安土桃山時代になると、南蛮渡来の文化や商人たちの力を背景に豪華で派手好みの文化が生まれた。柄や帯取りに金や紫の組紐を巻くことから「糸巻太刀」というものが登場し、鞘には金梨地に所有者の家紋を金蒔絵で描いたものや、鞘全体を薄い金の熨斗板で包んだものがあり、どれも絢爛豪華な拵となっている。


江戸時代中期から幕末

江戸時代初期にはすでに腰に差す大小の刀は同一の形式で作成する形が定着しており、武家諸法度によって刀の寸法や身分による所持の規制が制定された。「二本差し」は武士の代名詞となり、刀には実用性よりも象徴としての意味合いが強くなっていく。

刀工たちにとっても、江戸時代は様々な変化があった。江戸をはじめとした城下町で刀鍛冶は大いに栄えたが、大小差しが制定されたことで短刀の需要がなくなり、江戸時代以降の作刀は急激に減少する。当時の剣術稽古で主流となった竹刀による稽古に合わせて、刀も竹刀に似て反りの無い「寛文新刀」と呼ばれるものが流行した。

幕末動乱期になると刀は再び武器としての性格を強め、闘争の時代に合わせて拵もまた華美なものから実戦的なものへと変容していった。

幕末の動乱は大政奉還によって終結し、廃刀令が公布され日本刀の歴史は終わるかに見えたが、刀はサーベルや軍刀に姿を変えることとなる。武人の精神や階級の象徴としての役目を終戦まで担うことになるが、終戦を迎えた現代では世界に誇る美術品として審美の対象となっている。


参考文献

「[図解]武将・剣豪と日本刀 新装版」 日本武具研究会/著 株式会社笠倉出版社

「日本刀 日本の技と美と魂」 小笠原信夫/著 株式会社文藝春秋


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