織田信長3

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2015年7月28日 (火) 23:01 の版; 最新版を表示
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織田信長3

目次

織田信長

織田信長(おだのぶなが) 1534~1582 尾張の守護代織田氏は、岩倉織田家と清州織田家に分裂していたが、信長は清州織田家の奉行、織田信秀(おだのぶひで)の子。1560年、桶狭間で今川義元を討ち、「天下布武」の印章を用いつつ全国統一の業を進めた。1573年、室町幕府を滅ぼし、畿内平定を達成したが、1582年、家臣明智光秀(あけちみつひで)の謀反により本能寺の変に倒れた。楽市令を出し、安土城を築いた。

室町幕府の滅亡

室町幕府の滅亡(むろまちばくふのめつぼう) 織田信長と不和になった室町幕府15代将軍足利義昭は、毛利・朝倉・武田氏や石山本願寺などの反織田信長勢力と手を結んで織田信長打倒をはかった。1573年、織田信長は京都二条城に足利義昭を囲み、降伏した足利義昭は宇治槙島に移り、再度抗戦して敗れ、河内若江の三好義継に身を寄せ、幕府は滅亡した。

桶狭間の戦い

桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい) 1560年、桶狭間の北方田楽狭間で、2万5000の今川軍の本営を信長軍3000が急襲して今川義元の首をとり勝利。以後今川氏は衰亡した。織田信長が戦国大名として台頭する一因となった戦いである。

安土城

安土城(あづちじょう) 1576年、織田信長が近江の築いた最初の近世的城郭。滅んだ六角氏の観音寺城など付近の城跡から資材を運び築城。五層七重の天守は1579年に落城。1582年、本能寺の変の後に焼失した。現在は文化財保護法施行に伴い、史跡安土城跡となる。その後、特別史跡に指定される。

楽市・楽座

楽市・楽座(らくいち・らくざ)「楽市令」 市の閉鎖性や、特権的な販売座席である市座を廃し、商品取引の拡大円滑化をはかった政策。市は、世俗の権力や関係から解放された場とされた。織田信長が美濃加納・安土山下町などに実施した後を受けて、豊臣秀吉も推進し、旧来の市の復興や、新城下町の繁栄をはかった。

織田信長の最期~本能寺の変

本能寺の変(ほんのうじのへん) 1582年、家臣の明智光秀が主君織田信長を京都の本能寺に襲って殺した事件。織田信長は寝込みを襲われ、本能寺に火を放ち自ら自害した。織田信長の息子、織田信忠も二条御所で防戦の末に自殺した。

[堀 新著 『信長公記を読む』 吉川弘文館] 織田信長 織田信長について5分でわかる

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