中高一貫校
出典: Jinkawiki
中高一貫校の歴史
- 明治
近代的教育制度によって、日本の教育は「初等教育」と「高等教育」の二方面に形成されるようになる。初等教育は、6年の義務化された尋常小学校となったため、9割以上の子どもが基礎教育を受けられ、就学率は上昇した。小学校の上には、高等小学校と並ぶ、5年制の旧制中学校が設置された。また、江戸から続く塾は、私立中学校になった。高校教育は、帝国大学の予科として、旧制高校が成立された。そのために、高校学校から大学への進学は確実だった。初等教育と高等教育の2つの流れに結びつきはなく、多くの問題が含まれていた。
- 大正
旧制中学からの大学への進学希望者数が多く、倍率が3倍を超えるなど、なかなか進学できない浪人生が増加した。それに比べて、高校の定員は、かなり少なかった。このような問題を解決すべく、「七年制高等学校」が発足し、制度化された。尋常科3年の初等教育と高等科4年の高等教育を結ぶための中等教育の機能をもつ。中高一貫校は、七年制高等学校が始まりであるといえる。制度化されるも国家は財政的に厳しかったため、私立学校が設立することが多かった。
- 昭和
戦後、教育基本法と学校教育法が公布され、六・三制の教育システムができた。六・三制に伴い、小学校と中学校が義務化されるようになった。公立の旧制中学は、新制の高等学校へ移行した。 私立と同様の場合もあるが、ほとんどが中高校の六年制に移行した。その理由には、生徒増による経営アップ、委託制度(戦争で校舎が不足したため公立中の生徒を公費で私立に預ける制度)、中等教育に対する思いであるとしている。
- 現代
私立一貫校では、戦前の伝統を受け継いで独自のカリキュラムを作成する学校、海外からのサポートを得てカリキュラムを発展させるプロテスタント系やカトリック系の学校があった。教育内容が発展していたり、戦前の教育水準を継承していたりすることから、経済的余裕のある家庭により、私立一貫校は選ばれていた。 ゆとりカリキュラムを実施する公立への不安、私立中高一貫の教育内容の良さから、進学実績は伸び始め、首都圏では中学受験が一般化した。
1992年、学校教育法の一部を改正、1994年9月から全国で初めて3校の公立中高一貫校が登場した。公立中高一貫校では、「中等教育学校」、「併設型」、「連携型」のタイプに分けられた。中東教育学校は高校募集をしない六年一貫教育、併設型は高校での募集枠を残している学校、連携型は既存の市町村立中学と都道府県立の高校がつながった学校のことである。中等教育学校と併設型は、私立の中高一貫校に似ている。学校の内容や試験も私立に近くなり、公立と私立を併願する生徒も少なくはない。
私立中高一貫校の特徴
中学から、授業料、制服代、教材費などの諸経費は必要である。中高一貫校として伝統が確立している。中学2年から3年の早い時期で、公立の学習内容を終わらせる等、難関大学の進学を目指す。
公立中高一貫校の特徴
前期(中学3年間)では授業量の負担はないが、制服代や修学旅行の積立等の諸経費が必要となる。2004年から、制度が変わり、公立中学校でも高校の学習内容が学べるようになった。特に高校での募集枠を残す併願型の学校では、大学進学にも力を入れてる。地域との活動・地域からの協力が得られる等、地域との関わりが高められやすい。福祉施設へのボランティア活動や企業からの講師を招いた講義等が例として挙られ、独自のカリキュラムが組まれている。
参考文献
中高一貫校 著/日能研進学情報室 (ちくま新書)
公立中高一貫校専門情報サイトむぎっ子広場