アメリカの人種差別

出典: Jinkawiki

2008年6月24日 (火) 23:16 の版; 最新版を表示
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アメリカの人種差別は、建国時から現在まで続く最も深刻な社会問題である。そして、メーコンを含むジョージア州は、その人種差別の中心であったと言っても過言ではない。18世紀から白人の経営する綿花プランテーションに、アフリカから奴隷として連れてこられた多くの黒人がメーコンを中心としたアメリカ南部地方で働かされていた。奴隷は家畜同様に売り買いされ、読み書きを覚えることは禁じられていた。奴隷開放を唱える北部諸州と奴隷制度維持を主張するジョージアをはじめとした南部諸州の間に1861年南北戦争が起こった。戦争に負けた南部は奴隷を解放し黒人は自由になるが、ほとんどは小作農となり、労使関係とは名ばかりで奴隷時代とほとんど変わらない時代が続いた。また、州政府は人種分離政策を採り、学校、列車、レストラン、便所など全てにわたって、白人と黒人を区別した。黒人の施設が白人のより遙かに劣っていたのはいうまでもない。また、ジョージア州では8分の1以上黒人の血が混ざっていれば黒人であるという定義を設け、違反して白人の施設を使った場合は逮捕されたのである。黒人の血は純粋を汚す忌まわしいものという考えで、少しでも混ざればもはや白人ではないとされた。このような白人純血優越主義と「分離すれども自由」という政策が南北戦争後100年以上維持されてきた。1960年台になってようやく分離政策は憲法違反との最高裁判断が下され、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアやマルコムXといった黒人指導者の貢献もあって、一応の制度上の平等がもたらされた。   過去の政策を反省し、黒人に対する不平等状態を是正しようということで、非白人優遇措置が採られ、企業や官庁では、その他の条件が同じなら黒人が優先的に採用されてきた。また、人種分離政策が禁止された後でも、白人は子供を黒人の多い学校に通わせるのを嫌ったため、政府はスクールバス・システムを導入して、黒人と白人の居住区が異なる多くの地域において、生徒を強制的にバスで遠隔地の学校に連れていって人種の均衡を図ろうとしたり、それぞれの居住地域に特色のある教育プログラムをもつ魅力的な学校を設置し人種間の融合を図ろうとした。政府のこのような努力が効を奏し職場や学校ではある程度の改善がなされた。しかし、現に、黒人居住区と白人居住区はますます明確に分離される傾向にある。


参考文献: アメリカの人種差別の歴史  著:C,Vウッドワード


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