ヴァイキング2
出典: Jinkawiki
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概要 ヴァイキングとは、ノルマン人の別名である。「ヴィクの人」(入り江の人)の意味とも考えられている。ノルマン人は、スカンディナヴィア半島およびバルト海沿岸を原住地とした北方系のゲルマン人のことである。ノルウェーのノール人、デンマークのデーン人、スウェーデンのスウェード人の三部族からなる。
民族大移動 9世紀のカール大帝の出現により、ゲルマン人の大移動以来の混乱が終わった西ヨーロッパを、再び混乱させたのが9~11世紀の第2次民族大移動である。その中心となたのがマジャール人とヴァイキングであった。ヴァイキングが住んでいた土地は氷河に切り取られたやせ地であり、農業には適さなかった。狩猟、牧畜、漁業で生計を立てながら、早くから他地域との交易に乗り出した。フィヨルド海岸を中心とした入り江集落は、同時に市場の役割も果たしていた。
ヴァイキングの活動 ヴァイキングの活動は9世紀に爆発的に拡大した。彼らは、入り江を拠点に盛んに外洋を航行する船を襲うようになり、さらに人口増加の圧力から各地の植民に乗り出した。活動の内容は主として商業、植民、略奪、征服が中心であったが、3つの部族ごとに異なっていた。 ノール人は、主としてアイルランドを中心とするブリテン諸島に向けられた。9世紀後半には先住民のいないアイルランドに永住とも言ってよい植民を行った。また、コロンブスが5世紀に北アメリカの海岸に到達し、ニューファンドランド植民に乗り出している。 デーン人は8世紀末から9世紀前半にかけて海沿いに北西フランスや東部イングランドに到達した。まず海岸の主要都市を襲い、その後河川をさかのぼって内陸の主要都市を征服した。西ヨーロッパの主要都市でヴァイキングによる被害にあわない都市はなかった。それほどヴァイキングの力は強かった。略奪的活動に平行して定住も進んだ。セーヌ河口に移住し、定着したデーン人は、ノール人出身のロロ首領を中心にしばしば西フランクに侵入し911年シャルル3世からその領有を認められた。これがノルマンディー公国となった。 ノルマンディー公国では、フランス貴族との結婚により次第にヴァイキング的な特徴は失われたといわれている。
ヴァイキングが使用した船 ヴァイキングが当時使用した『ヴァイキング・シップ』には喫水が浅く、船腹の狭いため、速度が速く、戦闘時に使用されたロングシップと搭載できる荷物の容量の多い交易時に使用されたクナルの2種類がある。
(参考文献) ・詳説 世界史研究 木下康彦、木村靖二、吉田寅 山川出版社 ・世界史B用語集 全国歴史教育研究協議会 山川出版社 ・http://www.y-history.net/appendix/wh0601-111.html ヴァイキング 世界史の窓
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