フランドル地方
出典: Jinkawiki
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旧フランドル伯領を中心とする、オランダ南西部からフランス北東部にまたがる地方。今日のベルギーの地域。より広く言えば、ネーデルラントの南部地域に当たる。住民の多くはゲルマン系のフラマン語を話すが、南部農村地帯はラテン系のワロン語を話す。8世紀にフランドル地方と呼ばれ始め、「水に埋もれた地方」と呼ばれている。フランドルという呼び名はフランス語から由来されている。
前100年ごろから前44年のカエサルの時代にローマの属州となり、430年ころにゲルマンのフランク族が定着。ネウストリアの一部となった。西ローマ帝国が滅亡すると、フランク王国が発展した。ヴェルダン条約の結果、西フランク王国に属し、862年にフランドル伯領が設置された。この地方を少し拡大すれば、ネーデルラント地方となり現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、北フランスを含んでいる。862年には、ブリュッヘを中心とするフランドル伯領が形成され、その後フランス国王領と神聖ローマ皇帝領に分割された。 中世13世紀、フランドルの繁栄は絶頂期に達した。北のベニスと呼ばれたブルージュは人工20万人を超え、定期市にはヨーロッパのいたるところから商人が集まった。県都とイープルは毛織物の町として栄えた。毛織物産業が栄えた理由としては、羊や牛の牧畜とイギリスからの羊毛を輸入したこと、貿易による物資の流通が盛んだったことが挙げられる。通じ、毛織物産業は北イタリアとフランドル地方が二大産地であった。両地方ともイギリス、スペインの羊毛を原料としていた。この原料生産地と毛織物産地との間で活発な羊毛貿易が行われ、その利益を巡ってイギリスとフランスの百年戦争、さらに中世末期のイギリス、オランダとスペインの対立などが展開する。また、フランドルは、毛織物だけでなく、リンネル、レース、つづれ織りを輸出していた。13世紀には北西ヨーロッパの都市間の同盟「ハンザ同盟」に参加し、14世紀から16世紀にかけてヨーロッパの経済圏の要、北海の交易拠点として繁栄した。1477年、スペイン王位継承によりスペイン領となる。オランダ独立戦争の際、南ネーデルラントに属するフランドルはカトリック・スペイン領にとどまり、その後、しばらく紛争の舞台となってしまう。1648年、三十年戦争の講和条約により北部はオランダ、南部はフランスに割譲される。1814年、フランス革命、ナポレオン戦争後の国際秩序を再建するために開かれたウィーン会議で全域がオランダ領となった。1830年には、七月革命に刺激された武力蜂起がブリュッセルで発生し、ベルギーはオランダから独立。そして東西フランドル州が誕生した。
(参考文献) ・世界史B用語集 全国歴史教育研究協議会 山川出版社 ・詳細世界史 木下康彦、木村靖二、吉田寅 山川出版社 ・www.y-history.net 毛織物/毛織物工業 世界史の窓 ・http;//history.husigi.com ブルゴーニュ、フランドル、ハプスブルク 世界遺産 歴史 目で見る世界史