バイリンガル3
出典: Jinkawiki
←前の版 | 次の版→
バイリンガルとは
バイリンガルとは、2つの言語を使用する能力を持っている人のことである。この能力に細かな基準というものはない。一般には、どのような場面や用途においてもかなり自由にコミュニケーションをとれるレベル以上である。
バイリンガル教育とは 生徒の母語を育てていく、生徒に第二言語を習得させる、母語と第二言語を用いた教科教育を行うという3つの条件を同時に満たした第二言語習得のための教育方法である。 コリン・ベーカーは、多種多様なバイリンガル教育を、教育の手段として2言語を用いかつ教育の目標として2言語能力の育成を目指しているかどうかによって2つに大別した。2言語を使用し2言語能力の育成しているものは積極的バイリンガル教育、1言語しか使用せず1言語しか使用せず1言語能力しか育成しないものは消極的バイリンガル教育とよぶ。 積極的バイリンガル教育にはイマシージョン型、維持型、双方型などがあり、消極的バイリンガル教育にはサブマージョン型、差別型、移行型、分離型などが挙げられる。
アメリカのバイリンガル教育
アメリカの南西部では、19世紀末から20世紀初頭にかけて、学校でスペイン語の使用を禁止し、英語のみで授業を行うことを求めた州法がカリフォルニア、テキサスなどの週で次々に制定され、学校教育の場ではアングロ・コンフォーミティの考え方が支配的であった。その結果、英語によって進められる教育についていけないものを大量に生み出し、1960年には南西部の5つの州において、アングロサクソン系の子どもたちが通常、小・中・高と12年間の学校教育を受けていたのに対し、ヒスパニックの子どもたちは8.1年間の学校教育しか受けていなかったというデータもある。家庭や地域社会でスペイン語を話し、民族の伝統文化を色濃く身につけているメキシコ系アメリカ人の子どもたちに、学校教育の場を通してアングロサクソンの共通な価値体系を 教えることは、政策の意図に反してうまくいかなかった。こうした事態は様々な関係者の注目を集めた。全米最大の教員組織である全米教育協会が、こうした子どもたちの教育問題解決のために運動を起こし、バイリンガル教育を積極的に推奨した。 やがて1967年にバイリンガル教育のあり方を規定する最初の法律が制定され、バイリンガル教育法が成立した。
アメリカにおける言語感 英語と英語以外の言語がそれぞれどんな役割を期待させていたかについて、リチャード・ルイーズは問題としての言語、権利としての言語、資源としての言語という3つの言語感が存在したことを指摘する。 問題としての言語については、英語を理解できないことは、間接的に学業不信や退学、失業貧困を招く原因とみなされた。社会では言語の多様化は国の統一を妨げてしまうものととらえられた。そのため、母語を犠牲にしてまでも英語を学ぶべきとされ、英語の習得こそが学校教育の第一の目的とされた。 権利としての言語については、言語を権利として捉えるならば、公民権法が人種、皮膚の色、出身国の違いによる差別を禁止していることに鑑み、言語の違いによる差別を撤廃し、母語を用いる権利や母語教育を受ける権利を認めるよう要求することとなる。この言語感はアメリカの言語政策の出発点としてもとらえられている。 資源としての言語とは、言語を個人にとっても社会にとっても有用な資源とみなす考え方である。個人レベルでは、英語以外の言語を使いこなす能力が優れた資質と評価され、また、社会のレベルでは英語以外の言語を通じて他国と様々な関係を深めていき、アメリカに大きな利益をもたらすと考えられた。
(参考文献) アメリカのバイリンガル教育 末藤美津子 東信堂 バイリンガルとは ことバンク