日韓関係
出典: Jinkawiki
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日韓関係
日本と韓国の関係
1876年、日朝修好条規を結び朝鮮は開国。1894年に、朝鮮を巡る対立から、清国と日本との間で日清戦争が勃発。日清戦争で日本は勝利。1895年に日本と清は下関条約を結び、朝鮮が清との冊封体制から離脱すると日本の影響下に置かれた。これに伴い1897年に大韓帝国へと国名を改めた。1905年のポーツマス条約において朝鮮に対する排他的指導権を獲得する。その後、韓国皇帝はハーグ平和会議に、日本の干渉を排除し韓国の外交権保護を要請する密使を送ったが、成功しなかった。1910年、日本は韓国と日韓併合条約を結んで朝鮮半島を併合し、専制政治下にあった朝鮮にも日本内地同様に民主主義を導入するなどして朝鮮人にも市民権を与えた。また、朝鮮人にも高級将校や高級官僚への門戸を開放し、後の朝鮮発展の礎となる人材を養成した。1945年の第二次世界大戦敗北によって日本統治は終了し、連合軍による南北分断軍政統治下に置かれることとなった。1965年、日韓基本条約が結ばれる。
日韓関係の現状
1965年の国交正常化以降、紆余(うよ)曲折を経つつも協力の実績を積み上げてきた日韓両国だが、ここ数年の両国関係は停滞が著しい。現在の日韓関係は、悪化する一方である。韓国に対する印象を「良い」と回答する日本人は2割、日本に対する印象を「良い」とする韓国人は2割弱に過ぎない。2015年6月22日、日本と韓国は国交正常化50周年を迎えた。日韓はこれまで、主に経済協力というかたちで関係を深めてきたが、今日の日韓関係は非常に複雑だ。政治問題、歴史問題、経済問題など様々な問題において、政府同士が解決策を見いだせないままいる。
日韓の問題点
竹島問題
日本と韓国が互いに領有権を主張している竹島の領土問題。2012年8月10日、李明博前大統領が竹島に上陸。日本からは非難の声が高まり、野田佳彦首相は「極めて遺憾、毅然とした対応をとる」と表明した。日本は、同年8月21日、韓国政府に、竹島問題について、国際法に則り、冷静、公正かつ平和的に紛争を解決することを目指して、国際司法裁判所への提訴としての合意付託及び日韓紛争解決交換公文に基づく調整を提案。同月30日、韓国政府はこの提案を拒否。同年8月21日、竹島の領土問題に関する関係閣僚会合を開催し、国際法に則った紛争の平和的解決のための周到な準備と我が国の立場についての対外発信の強化、今後の政府の体制の強化についての検討も早急に実施すること、民間分野において、竹島問題等の調査・研究、国民世論の啓発のための活動を支援するための取り組みを調整すること等を確認。2013年2月5日、我が国の領土・主権に関する国民世論の啓発等に係る企画及び立案並びに総合調整を行うため、内閣官房に「領土・主権対策企画調整室」を設置。 韓国は、竹島での防波堤や入島支援センター等の建設事業を推進中。2014年1月、慶尚北道知事が竹島に上陸し、声明を発表。2014年6月、韓国軍が竹島における我が国領海の一部に射撃訓練区域を設定。2014年11月、韓国軍が竹島周辺で軍事演習を実施。2015年5月、韓国軍が竹島周辺で軍事演習を実施。
慰安婦問題
慰安婦問題とは、各国の軍が利用していた、将兵の性の相手をさせられた慰安婦への、待遇や人権に関する問題、および慰安婦制度そのものを問題視するという概念。日韓間の財産・請求権の問題は、1965年の請求権協定により完全かつ最終的に解決済み。2011年8月末、韓国憲法裁判所は、元慰安婦や原爆被害者らの個人の請求権問題に関する違憲審査の申立てにつき、韓国政府が日本と外交交渉を行わないのは「被害者の基本的人権を侵害し、憲法違反にある」との決定を出した。同年9月及び11月、韓国外交通商部から日韓請求権協定に基づく協議に係る申入れがあった。同年12月、「韓国挺身隊問題対策協議会」(韓国のNGO)が在韓国日本大使館前に「碑」を建設。朴槿恵政権は、日韓関係において慰安婦問題の「解決」を重視。日本政府が「誠意ある措置」をとり、問題を早急に解決するよう強く要求。日本に対し「誠意ある対応」を講じるよう求める韓国。日本側には、これまでの謝罪や人道的な取り組みを評価しない韓国へのいら立ちが募る。国民感情も絡んだ日韓の相互不信が、問題解決を遠ざける悪循環が続く。元慰安婦への財政支援や、首相による謝罪などが打開案として取り沙汰されるが、より踏み込んだ対応を迫る韓国側と、「問題を蒸し返されるようなら意味がない」と警戒する日本側との認識ギャップは依然として大きい。
日本海呼称問題
日本海呼称問題とは、国際的に「日本海」ないしその同義語で呼ばれている海域の呼称を大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が変更するように求めている呼称問題である。
韓国側
「日本海」は1904年の日露戦争以降、日本の国際的立場が高まるにつれ急速に普及し、日本の植民地政策の一環として押しつけられ国際的に普及した名称である。1929年、日本の植民地の下にあり、国際社会で「東海」の名称の正当性を主張できる機会自体を喪失していた。世界の地図出版社やマスコミなどで「日本海」と「東海」の併記が拡大しつつある。したがって、「東海」を「日本海」にかえて国際的名称とすることも可能である。「東海」は韓国人が2000年以上使ってきた名称であり、19世紀までは「日本海」だけでなく、「朝鮮海」・「東洋海」など様々な名称が使われてきた歴史的な事実を考慮すると、過去100年間の歴史のみを踏まえて「日本海」を確立された国際名称することはできない。韓国は「東海」が正当な名称であると主張しており、当該海域の名称について韓日間で対立があることは明らかである。国連地名標準化会議及び国際水路機関の決議に基づき、韓日両国が共通の名称で合意に達するまでは、両方の名称を併記して使用することが最も望ましい。
日本側
日本海は、同海域に対する国際的に確立した唯一の呼称。国連をはじめ、米国、英国、ドイツ、フランス、中国等の主要機関、主要国政府も日本海の単独呼称を採用している。国際社会が現に使用してきている日本海の名称を、韓国国内のみで使用されている「東海」に変更させようとする動きは、国際的慣行を破るのみならず、国際的な公平・中立に反する韓国の不当な主張に国際的な正統性を要求するもの。日本海は国際的に確立した唯一の呼称であり、何ら争うべき余地はない。国際会議の場において、韓国等がこれらの主張を行った場合には、日本としては断固反論を行っており、また、「東海」の名称を使用する国・機関に対しては、関連文書への必要な修正等を含め、日本の立場を申し入れてきている。
仏像盗難問題
仏像盗難事件とは2012年に日本の長崎県対馬市の三つの神社・寺院から、韓国人窃盗団によって重要文化財の仏像2体などが連続盗難された事件である。韓国の裁判所が盗難仏像の日本への返還を事実上拒否する決定を下し、1体は返還されたが未だに1体が未返還なため、日韓間で外交問題となっている。日本は、盗難被害にあった文化財が早期に日本に返還されるよう、外交ルートを通じて韓国に対して要請を行っており、引き続き、速やかな返還を韓国政府に求めている。2012年10月頃に、長崎県対馬市の海神神社から国指定重要文化財「銅造如来立像」及び観音寺から長崎県指定有形文化財「観世音菩薩坐像」等が盗取された。2013年1月、韓国から、日本に対し窃盗団の一部である被疑者確保、「銅造如来立像」及び「観世音菩薩坐像」と思われる文化財発見の連絡があった。民事裁判が行われ、2013年2月25日大田地方裁判所はその占有を他に移転したり、または、占有名義を変更してはならない」旨、仮処分決定を実施した。刑事裁判が、2013年3月14日から大田地方裁判所にて開始され、6月28日に主犯格の韓国人兄弟に対し、懲役4~3年の実刑判決が下された。また、本件は大田高等裁判所に控訴されたが、10月30日、控訴は棄却され、第一審判決が支持された。2014年1月29日に上告が棄却され、全ての判決が確定。その後も引き続き外交ルート等を通じて韓国に対して強く返還を求めている。
日韓関係改善に向けて
日韓は近隣国として、関係をより良くしていく必要がある。日韓両国において7割以上が日韓関係が重要だと認識しているとの結果もある。歴史問題などにとらわれすぎず歩み寄っていくべきだ。相手国に何を求められているのか、何を求めているのか、具体的に理解して、問題解決の道を探していかなければならない。
参考 詳説日本史B 最近の日韓関係 http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000033344.pdf 日韓経済協力は「現状のままではメリットがない」http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/061900007/061900005/
by.eposu