チェルノブイリ原発事故7
出典: Jinkawiki
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1986年4月26日午前1時23分、ソ連・ウクライナ共和国(当時)にあるチェルノブイリ原発4号炉で起きた事故のこと。 その日、4号炉は定期点検修理のため停止されようとしていて、実験が行われていた。それは地震などで外部からの電源が遮断され、停電になった時、タービンの慣性だけで発電し、給水ポンプを動かして原子炉を守る非常用ディーゼル発電機が稼働するまでの40秒間を凌げるかを確かめる実験であった。実験は終了し、原子炉緊急停止スイッチが回されて、原子炉は無事に停止するはずだった。 しかし原子炉は制御不能になり爆発を起こした。この事故以前までは、炉や建物が原子炉の暴走によって破壊されるような事故が起こるとは想定されていなかった。それゆえ、現場にいた運転員や管理職ですら適切な指示ができず、何人もの職員が無意味な作業に出向き、被ばくした。
原子炉の仕組み
原子炉にはさまざまなタイプがある。チェルノブイリの原子炉は、米国や西欧にあるものとは設計が大きく異なっていた。 原子力発電の燃料はウランを使っており、ウランを核分裂させることによって膨大な熱が放出され、水が沸騰し、蒸気を発生させ発電する仕組みになっている。核分裂が行われているのは原子炉の炉心である。ウランは燃料棒に濃縮されて封じ込められる。そして原子炉の内部では、核分裂反応が継続的に行われている。燃料棒のなかのウラン原子は分裂し、中性子を放つが、その速度を減速させるために水か黒鉛が使われている。あまりに多くの原子が一度に核分裂すると、熱の発生が過剰になり、原子炉で処理できなくなってしまうからである。効率的にエネルギーを生み出せる反面、いまだに放射性廃棄物の十分な処分方法が確立していない。また長期にわたって強い放射性を保つため、原発は大きな危険を常にはらんでいる。
事故による被害
被害は広域に及んだ。大気に放出された大量の放射能が風や雲によって運ばれ、放射能が含まれた雨が降ることによりヨーロッパ一帯が汚染されるという事態が起きた。 一部はジェット気流に乗って日本やアメリカまで降り注いだ。事故は発生して3日後に世界に知られることとなる。北欧、ドイツ南部、北イタリア、黒海沿岸などにホットスポットができ、原発事故の被害は距離を問わないことが判明した。また、汚染は動植物から食卓に並ぶ食料品にまで影響を与え、人体にはどうしようもないほどの後遺症を残した。
参考文献
七沢潔 1996年「原発事故を問うチェルノブイリから、もんじゅへ」 岩波書店
R.P.ゲイル他 1988年「チェルノブイリアメリカ人医師の体験(上)」 岩波書店
HN:羊一