クルド民族
出典: Jinkawiki
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クルド民族
クルド人は中東でアラブ人、トルコ人、ペルシア人についで多く、3000万人~3500万人と言われる。チグリス・ユーフラテスという2つの大河がはぐくんだメソポタミアの上部から中流域にあたる地帯に暮らしてきた。近代概念のクルド民族が形作られたのはオスマン帝国の栄えた16世紀以降とされる。帝国主義の植民地時代と第1次世界大戦を経て、ヨーロッパ列強による国境の線引きが今日の中東地図の元となったが、その過程でクルドの地・クルディスタンは、トルコ、シリア、イラク、イラク、イランに分断された。3000メートル級の山々、大河が運ぶ水、石油の湧き出す大地。豊かな自然と資源に恵まれたクルディスタンの総面積は、ちょうど日本の国土に相当する。しかし、彼らが独立国家を持つことかなわず、「国を持たない世界最大の民族」と呼ばれてきた。分裂されてきたクルド民族をひとつの概念で語るのは容易ではない。民族アイデンティティーにとって重要な要素のひとつが言語である。ところがクルド人は同じ言語を共有しているわけではないのも特徴である。そしてその関係が、クルド人どうしの政治的関係にも色濃く反映され、ときに民族を隔てる壁ともなってきた。クルド語はインド・ヨーロッパ語族に属する言語だが、いくつもの方言に分かれている。近年、言葉が隔ててきた地域間の相互理解が進んでいるが、分断されて民族を一体のものに高めることができたのは、90年代半ばにヨーロッパのクルド移民が資金を出し合って開局したクルド語衛星放送の影響がある。クルドディスタンスで何が起こっているのか、それまで知るすべを持たなかったクルド人にとって、刻々と伝えられる他の領域の同胞のニュースは、分断民族をつなぐ機会をもたらした。衛星放送が登場したこととは、それまでの自分の地域の方言しか知らなかった住民のあいだに共通した標準語が普及することにもつながった。
参考文献 月刊情況 2014年第4期11・12合併号「イスラム国」運動の背景 月刊情況 2015年第4期5月号「IS(イスラム国)の声明と襲撃事件」