ユング
出典: Jinkawiki
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C.G.ユング(Carl Gustav Jung) 1875-1961
目次 |
年表
0歳 7月26日、スイス連邦トゥルガウ州に生まれる。
20歳 バーゼル大学入学。自然科学と医学を学ぶ。
25歳 精神科医の道を選ぶ。
28歳 エンマ・ラウシェンバッハと結婚。
32歳 ウィーンでフロイトとはじめての会見。
34歳 大学病院を退職し、チューリヒ近郊のキュスナハトで開業。
38歳 フロイトと決別。
58歳 第一級の学者が集って神秘的思想などを研究する第一回エラノス会議開催。
69歳 ユング入院。日課の散歩のときに転倒し、入院中に心筋梗塞のために危篤状態に陥る。このとき弟子たちの間で不思議な共時的現象が起こった。
73歳 チューリヒにユング研究所が創設される。
84歳 妻・エンマが死去。
86歳 6月6日、短い病気療養を経てキュスナハトにてユング死去。
考え方
人間の精神は深いところでつながっている
私たちが生きている現実世界ではさまざまなことが起こる。私たちは悩んだり、喜んだり、愛したり、憎んだりして日々生きている。確かに時がたてばどんな人生も過ぎ去って、終わっていく。しかし、本当の自分の生命は地下茎のように地中に隠れていて、変わらないものがあるんだ、というのがユングの主張だ。 「我々が見ているのは花であり、それは過ぎ去る。しかし根は終わらない。」 ユングは現実世界の生活を花にたとえたのだ。この考えは全人類の意識はひとつにつながっている、というユング独特の、後世に大きな影響を与えた思想につながっていく。ユングは人間の生命の真実は、夢や無意識といった精神の世界を探れば見えてくる、と考えた。
心にひらめくインスピレーションを受け入れる
入院中、ユングは死と向き合いながら、地上1500キロメートルの高さから地球を見下ろしたり、宙に浮いている巨石に出会ったりするヴィジョンを見ている。その意味を考え、病気も含めさまざまな不可解な出来事を受け入れる強さを持った。
私たちはさまざまな時代の、多くの人々から、心を受け継いでいるのだ
私たちは自分の生を歴史の中で独立したただひとつのものであると考えがちだ。特に現代では「世界で唯一の存在だから価値がある」という考えがある。それは間違ってはいないが、ユングはもっと広い世界を見ている。DNAが太古の昔から連綿と続いているように、心もどこかで誰かが考えていたこと、いつか思ったことを再構成したものともいえる。
世界
独自の分析心理学を確立
1907年にはじめて出会って以来、ユングは自他ともに認めるフロイトの後継者だった。フロイトは発足したばかりの国際精神分析学会会長にユングを推薦し、機関誌の編集まで任せた。そもそも、フロイトとユングは両極端な個性だった。モダン都市・ウィーンでユダヤ人として育ったフロイトと、スイスの田舎で自然に囲まれて暮らしたユング。その違いは、リビトーをめぐる考え方にもはっきりと表れることになる。フロイトがそれをもっぱら性的なものととらえたのに対し、ユングはもっと広く「心的エネルギー」「生きる力の表れ」と考えた。 両者の決別によって、ユングはフロイトの精神分析学の影響を脱し、分析心理学という独自の体系を生み出す。彼は無意識との対決をそのあとの自分の最大の課題として、そこから現代の思想・哲学に影響を与えた「集合無意識」や「元型」「個性化」といった重要なテーマを発見していく。
参考文献
①ユング