日中関係
出典: Jinkawiki
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日中関係の四段階
1972年に日中国交正常化が果たされた。それ以降の時代を四つに区切るならば2000年代の十年間は第四段階に位置する。第一段階は1972年の国交正常化からほぼ70年代を通した時期とみることができる。中国が文化大革命を終わらせ、国連への登場、ニクソン訪中による米中接近など国際社会との関係を深め始めた当初において、日中の国交が回復し、その後はいわゆる「友好人士の往来」を軸に交流が進んだ。毛沢東の革命路線から近代化を目指す改革開放路線の方向性が打ち出され、日本の対中経済協力の下地が形成され、日中関係が前向きにとらえられ比較的順調に推移した段階だった。第二段階では改革開放路線が本格的に始まり、日本も対中ODAの供与など本格的な支援に乗り出しイデオロギーや政治中心の交流が進んだ。日本人の中国に対する感情は極めてよく、実に70~80%が肯定的にとらえていた。第一、第二段階は突き詰めれば日本から中国への一方向ベクトルが主な流れであった。第三段階は天安門事件が起こり日本人のホットな感情に冷水を浴びせる結果をもたらした。しかしそれでも海部総理が先進国サミットで提唱した「中国を国際社会から独立させるな」「世界の中の日中関係」という認識が広まった。いわゆる国際社会の中の日中関係である。第四段階は日本から中国、中国から日本の双方向ベクトルが働くようになった。なかでも2008年毒薬混入餃子事件を契機として食品をはじめとする中国製品に対しての不信感が生まれた。2010年の尖閣諸島事件発生前までの時期はいわば「政熱経冷」ともいえるほどに政治家の交流が盛んになった時期もあった。しかし、他方では中国に対する「大国化」「一党独裁」といった政治不信は強く、同時に経済相互依存は一段と進んでいる。
現在の日中関係
現在の日中関係は間違いなく戦後最悪だ。基本的な認識として、関係悪化の主たる原因は中国側にあり、安倍政権に特段の落ち度があるとはいえない。ネットを閲覧すると、アメリカ政府が「終わった話」と終了宣言を出している安倍首相による靖国参拝が日中関係を毀損したと今尚批判する声も散見されている。「安倍首相を非難して、日中関係問題の本質について思考停止する」という態度を続ければ、何時まで経ってもトンネルの出口が見えて来ない。冷徹に評価すれば今や秒読み段階になったとも言える「北朝鮮の暴発」に対し、日本としての手持ちのカードは日米同盟のみとなってしまう。
ハンドルネームS.S
参考文献
王敏 「鏡の国としての日本」 天児 慧「日中関係」