ベトナム戦争23
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ベトナム戦争23
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ベトナム戦争
ベトナム戦争(べとなむせんそう) ジュネーヴ協定が成立した後、アメリカは南のベトナム共和国を支援。1961年ベトナム共和国政府と南ベトナム解放民族戦線との間に内戦が始まる。北ベトナムがアメリカ艦艇を攻撃したというトンキン湾事件を機にアメリカ軍は1965年2月より北爆を開始、地上戦闘に拡大した。枯葉剤をまくなどしたが敗北し、1968年から和平会談開始、1973年1月、和平協定調印。
ベトナム共和国
ベトナム共和国(べとなむきょうわこく) 1955年、ゴ=ディン=ディエムがベトナム国主席バオダイを追放して樹立。アメリカの支援を得て独裁政治を行い、ベトナム戦争を誘発した。
トンキン湾事件
トンキン湾事件(とんきんわんじけん) 北ベトナムのトンキン湾をパトロール中の米駆逐艦に北ベトナム哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件。その報復としてジョンソン政権は北ベトナムを爆撃。以降、ベトナム戦争は一気に拡大する。アメリカ議会は上院で88対2、下院で416対0で大統領支持を決議をした。しかし、1971年6月ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者が、報告書『ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年』こと「ペンタゴン・ペーパーズ」を入手。このトンキン湾事件は米国が仕組んだものだったことを暴露した。1995年には当時の国防長官ロバート・マクナマラも「北ベトナム軍による攻撃はなかった」と告白している。ベトナム戦争の長期化により米国では反戦運動が盛んになり、スカル&ボーンズの影響力が低下、その隙を突くように米政権内で親イスラエル勢力が台頭する。
ベトナム反戦戦争
ベトナム反戦戦争(べとなむはんせんせんそう) 日本がアメリカ軍後方基地になったこともあり、反戦戦争は市民運動として高まった。1965年にはべ平連が活動を始め、1968年には原子力空母エンタープライズ佐世保寄港反対運動が起こった。
べ平連
ベ平連(べへいれん) 1965年に生まれたベトナム反戦運動の組織。小田実らがつくった「ベトナムに平和を!市民連合」の略称。1969年には東京新宿で「反戦フォーク演奏会」(新宿フォークゲリラ)を毎週土曜日に開いた。
参考文献
HN.WP