カースト制度

出典: Jinkawiki

2015年8月4日 (火) 11:54 の版; 最新版を表示
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カースト制度


目次

カースト制度

アーリヤ人社会を秩序づけていた職能の分化に基づく厳格な階層身分制度のこと。バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラの四姓(四ヴァルナ)身分階層を基本とする。それがやがてインド全域を覆うようになり、社会における職能・身分の分化につれて複雑なカースト集団の細分化が生じた。各カーストは世襲の職業に従事し、他のカーストとの結婚の禁止など生活の細部にわたって規制が加えられていた。「カースト」という言葉はポルトガル語で「血統」の意味である。ポルトガル人が16世紀にインドに来るようになってから、インドの身分社会(ヴァルナ制)をそのように名付けたことが由来である。


四つの姓(ヴァルナ)

・バラモン:祭祀を司る司祭階級。宗教的な支配階級でもあり、カースト制度の中で最高の位置を占める。

・クシャトリア:武士または貴族であり、政治的、軍事的支配階級。バラモンに次ぐ位置を占める。

・ヴァイシャ:農民や商人などの庶民階級。以上三カーストが上位カースト。

・シュードラ:カースト最下層の隷属民階級。下位カースト。

・パリア:カースト制度の四つの姓に属さないパリアという民がある。上位のカーストから触れられないのものとして差別を受けてきた。ガンディーは彼らをハリジャン(神の子)として差別撤廃の運動を行った。


カースト制度の成立と定着

カースト制度は、紀元前1000年頃、鉄器文明段階に入ったアーリヤ人がインダス川流域(パンジャーブ)から東方のガンジス川流域に移住し、先住民を征服する過程で肌の色が白く、肌の色の異なった被征服民を差別したところから始まったものと考えられている。征服と被征服の関係以外にも、原始的な遊牧社会から農耕社会に移行していき、さらに生産力が向上して手工業や商業が発達して都市国家が形成された。それにともなって発生した済的格差の拡大と固定化などがカースト制度成立の背景として考えられている。 起源前5世紀ごろの仏教やジャイナ教など、カースト制を否定する宗教が生まれた。都市国家から統一国家への形成期になると、カースト制度は統一的支配の障害になる。仏教が統一国家の理念として保護されるようになったが、民衆生活の中ではカースト制は生き続けた。 13世紀頃、北インドにイスラーム教の勢力がおよびイスラーム政権が成立する過程で、民衆の信仰であるヒンドゥー教に対しては比較的寛容であり、人頭税を払えば信仰が認められていた。そんな中、ヒンドゥー教でも純粋に神への帰依を説くバクティ運動が南インドや北インドにもおよんで行き、カースト制度はインド社会に深く結びついていった。


参考文献

- 世界史の窓 (2015/08/03)

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