B-29
出典: Jinkawiki
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B-29は、アメリカ合衆国のボーイングが設計・製造した大型爆撃機。愛称はスーパーフォートレス(Superfortress)。日本では太平洋戦争中より「超空の要塞(ちょうそらのようさい)」と呼ばれていた。
第二次世界大戦末期から朝鮮戦争期の主力戦略爆撃機。中型爆撃機構想から発展したB-17(空の要塞)と異なり、最初から長距離戦略爆撃を想定して設計された。
当初は陸軍戦略航空軍所属であったが、1947年に空軍の独立とともに空軍へ移管された。
超空の要塞
第二次大戦中、完成したB-29一号機は「2000マイル(3219キロ)の行動半径を持ち、高度30,000フィート(9144メートル)以上での飛行可能な爆撃機」という当時の陸軍の要望をかなえるものだった。
この「超空の要塞(Superfortress)」と呼ばれる重爆撃機には、画期的な技術が随所に導入されていた。
その代表的と言ってもいいのが、搭乗員室の与圧装置の設置である。
高高度を長時間飛行するB-29の搭乗員室は気密室であるが、自然のままでは酸素マスクを着用しなければ堪えられない。そこで室内の気圧を与圧装置で加圧し、高度9,000メートルで、酸素マスクがいらない高度2,400メートルと同等の室内環境を維持できるようにしたのだった。
当時、ボーイング社では世界で初めて気密室を備えた民間用輸送機「ストライトライナー」(成層圏航空機)を製作していたため、与圧装置そのものの設置に関しての技術的問題はさほどなかったが、問題はB-29という爆撃機への設置だった。B-29には胴体の下に二つの爆弾倉があり、投弾の際には隔室の扉を開閉しなければならないため、そのままでは加圧が漏れてしまう。
技術陣はこの問題を、前部の操縦室と機体尾部にある機関砲射手室を、直径85センチ、長さ8.845メートルの長い管で連結することで解決した。連結管はちょうど搭乗員一人が這って通れる太さだったため、連絡路としても便利で、一挙両得のアイディアだった。
兵装システムもまったく新しいもので、射手が持つ小型のコンピュータ式照準器が敵機までの距離、高度、気温、風速などを自動解析し、その情報を射撃管制装置に送って攻撃を行った。すなわち遠隔操作によって、全ての機関銃と機関砲を自由に発射させることができた。
またB-29は専門の航空機関士を置く最初のの爆撃機でもあった。それまでの軍用機の操縦席の周りはエンジン関係の計器で埋めつくされていたが、B-29ではエンジンのコントロールはすべて航空機関士が行うため、操縦士は操縦に専念すればよかった。B-29は機体の大きさだけでなく、そのメカニズムも「超空の要塞」という名に恥じないものだった。
予算
1939年以来、アメリカはこの超距離爆撃機の開発に30億ドルを投入したと言われている。
昭和十六年度の日本の国家予算(一般会計、特別会計、臨時軍事費の合計)が229億円であるため、その約60%近くにあたる。
B-29だけの開発費に、これだけの巨額な資金を投入できたのがアメリカだった。
第二次大戦に参戦してから、アメリカはもう一つの大きなプロジェクトを進行させる。マンハッタン計画、つまり原爆の開発だが、これには20億ドルが投入された。
B-29と原爆、まぎれもなく対日戦争の勝敗を決定づけた新兵器の代表だが、両者の開発費50億ドルは、まさしく当時の日本の国家予算に匹敵していたのである。
参考文献
太平洋戦争研究会『アメリカ軍の日本焦土作戦』河出書房新社
ロナルド・シェイファー著 深田民生訳『アメリカの日本空襲にモラルはあったか』