ニクソン・ショック2
出典: Jinkawiki
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アメリカ合衆国(米国)のリチャード・ニクソン大統領が1971年8月15日に、テレビとラジオで全米に向けて、新経済政策(減税と歳出削減、雇用促進策、価格政策の発動、金ドル交換停止、10%の輸入課徴金の導入)を電撃的に発表し、その中の「金ドル交換停止(金とドルとの固定比率での交換停止)」のこと。この金ドル交換停止は、米国議会にも事前に知らされておらず、極めて大きな驚き(サプライズ)を与え、またこれがグローバル経済に甚大な影響を与えたことから「ドルショック」とも呼ばれる。
実体経済
1971年8月16日の夕刊を見ると、朝日新聞では「米、ドル防衛に非常措置」というヘッドラインに続く「10%の輸入課徴金」という大きな見出しが目に付く。また、日本経済新聞にも「米、金交換を停止」「輸入課徴金10%」という見出しがある。日本にとって最大の輸出先であるアメリカが、輸入品への課徴金を導入することが相当の衝撃だったのだろう。つまり、当時の日本経済にとっての「ニクソン・ショック」は、金融システムの大問題というよりも、輸出が減少するのではないかという、いっそう現実的で差し迫った実体経済の問題だったのではないか。
スミソニアン協定
ニクソン・ショック後、同年12月にワシントンのスミソニアン博物館で各国の蔵相による会議が開かれた。 この会議でドルと金の固定交換レートは引き上げられ、ドルと各国通貨との交換レート改定が決定される。このとき1ドル360円から1ドル308円へと円が引き上げられたスミソニアン協定によってドルは大幅な切り下げとなり固定相場制は維持できたのですが、アメリカの貿易赤字は結局ふたたび増大。固定相場制への信頼はどんどん下がっていき、1973年には主要国ほぼ全てが変動相場制へ移行した。
参考文献
http://kezai.net/global/plaza ニクソン・ショックとプラザ合意 http://www.ifinance.ne.jp/glossary/world/wor002.html ニクソンショックとは|金融経済用語集 (D)