ナショナル・トラスト2
出典: Jinkawiki
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概要
ナショナル・トラストとは、際限のない勝手な開発から自然環境や歴史的環境などが破壊されるのを防ぐため、住民や自治団体が中心になって国民に募金などをしてもらって土地を買い取ったり、または寄贈を受けて保存や管理、公開をする運動のことを言う。
ナショナル・トラストの誕生
ナショナル・トラストは1895年にイギリスで創立された。 当時のイギリスは18世紀の半ば1760年代から産業革命が起こり、飛躍的に工業が発展していた時代であった。しかしそのために、都市への人口集中が始まり、都市化と開発の波によって、国民がずっと大切にしてきた美しい自然や歴史的環境が次々に壊されていってしまった。19世紀から20世紀の初めにかけての約15年間で約20万ヘクタールの農地と林地が消えていってしまったのである。そこで1865年、イギリスの環境保護団体の中では最も古い組織とされている、共用地保存協会が設立された。この協会を初めとして、1877年には古建築物保存協会、1882年には遺跡の保護を目的とした古記念物保護法なども制定されていったが、これらだけでは開発の波に抵抗することはできなかった。そこで弁護士のサー・ロバート・ハンター、社会事業家で婦人運動家のオクタビア・ヒル女史、牧師のハードウィック・ローンスリー氏の3人によって自然や歴史的環境を保護する運動としてナショナル・トラストが考え出されたとされている。
我が国のナショナル・トラスト
1960年代半ば、鎌倉の鶴ヶ丘八幡宮の裏山にある御谷に業者が宅地造成を計画するという事件が起こった。住民はそれを防ぐために「鎌倉風致保存会」という財団法人を結成し、土地買い取りの運動を起こしていった。1週間で市の内外から2万3千人の保存を要求する署名が集まり、さらに全国から2万数千の署名も寄せられ、約1年間にわたって県や市への陳情活動が繰り返された。そしてこの財団は5億円の募金で鎌倉とその周辺で69カ所、852ヘクタールの土地を買い取る計画を立て、ついにそれが成功し、宅地造成の事業は中止されたのである。これが我が国最初のナショナル・トラスト運動である。
諸外国のナショナル・トラスト
イギリスのナショナル・トラスト運動は諸外国にも影響を及ぼしている。オーストラリア、ニュージーランド、アメリカになどにも似たような住民組織が作られた。 オーストラリアでは1945年ニューサウスウェールズ州でナショナル・トラストが設立された。その後、州単位で7つの州にナショナル・トラストが生まれた。最初は民間の有志によって任意団体として成立したが、後に議会によって承認されている。 ニュージーランドのナショナル・トラストは「史跡トラスト」といい、1954年に史跡法によって設立された。現在の組織は1980年史跡法に基づいている。建築物を含む史跡に対する国民の関心を高め、史跡の保護と保存を目指すことを目的としている。 アメリカにも「ナショナル・トラスト」という組織がある。しかしこれは、歴史的環境の保存だけにあたっており、1949年に連邦議会で認められた唯一の全国規模の非営利団体である。本部はワシントンのマサチューセッツ通りにある。イギリスのナショナル・トラストは民間の寄金と寄贈のみに頼っているのに対し、アメリカは連邦政府からの補助金を受け取っている。
参考文献
・木原啓吉「ナショナル・トラスト」三省堂
・グレアム・マーフィ:著 四元忠博:訳「ナショナル・トラストの誕生」緑風出版
・[1]