ロヒンギャ族
出典: Jinkawiki
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概要
ロヒンギャ族とは、仏教徒が多数を占めるミャンマーでは、少数派のイスラム教徒で、バングラデシュの公用語であるベンガル語を話す。バングラデシュと接するミャンマー西部のラカイン州に多く住んでいる。1948年にミャンマーが英領植民地から独立した後に「ロヒンギャ族」と名乗るようになり、政府推計で約130万人いるが、ミャンマーではバングラデシュ移民と見なされ、国籍も与えられていない民族である。
歴史
かつてロヒンギャ族は東インドのベンガル地方(現在のバングラデシュ)に住んでいた。しかし、15世紀から18世紀にかけてビルマ西海岸に栄えたアラカン王国に傭兵や商人として移ってきた。イスラム教徒のロヒンギャ族と仏教徒のアラカン族は平和に過ごしていた。しかし、19世紀前半にはインドから侵入した英国の植民地政策によって、仏教徒地主が継承してきた農地をイスラム教徒の労働移民に与えた。このことによって仏教徒対イスラム教徒の対立がはじまる。 第2次大戦で進軍した日本と英国は、日本側が仏教徒、英国がキリスト教徒やイスラム教徒と、宗教別に軍隊を戦わせたため、両者の対立がどうすることもできなくなった。そして、ビルマ族やアラカン族など仏教徒が主導権を握って独立した。そのため、ロヒンギャ族は窮地に立たされるが、1950年代のウー・ヌ政権下では市民権を与えられて特別行政区を与えられる。しかし、1962年に軍事クーデターで政権を奪ったネウィン将軍が1982年に制定した国籍法によってロヒンギャ族の国籍が剥奪された。さらに、1988年の民主化運動や1990年の選挙で、ロヒンギャ族がアウンサンスーチーらの民主化運動を支持したことから、軍事政権による財産没収や強制労働などの弾圧がいっそう厳しくなった。
問題点
このロヒンギャ族を通して、問題視すべきなのは、難民問題である。今もまだ多くのロヒンギャ族が難民として国外に逃げているが、隣国は難民を簡単には受け入れられないので、ミャンマーと隣国との間で、今もまだ多くのロヒンギャ族が難民として苦しんでいる。またこの対立の原因は英国なので隣国だけでなく、世界規模で、難民問題をどのように解決していくのかが今後の課題である。二つ目の問題点は、これが宗教の対立のため、イスラム教徒であるロヒンギャ族を迫害しているミャンマー政府に対し、イスラム諸国を中心に、海外からの圧力が高まり、国際問題化してしまっていることが挙げられる。
参考
朝日新聞2015年06月19日 朝刊
http://blogos.com/article/112925/
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/422f77198e499405b947ef132ac61acb