チェルノブイリ原発事故9
出典: Jinkawiki
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概要
1986年4月26日、旧ソ連チェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故。国際原子力事象評価尺度(INES)において、最悪のレベル7に認定されている。ソ連きっての最新鋭の原子力発電所だったチェルノブイリ4号炉は、出力100万キロワットで二年間運転されていた。通常100万キロワットで原子力発電所が運転された場合、一年間で広島原爆の1000倍を超えるウランを燃やすことになる。実際チェルノブイリ事故では、2600発分の死の灰を抱えた状態で事故が発生し、そのうち3~4割、広島原爆800発分の放射性セシウムが放出された。
被害
チェルノブイリ事故によって放射線管理区域に指定しなければならないほどの汚染を受けた土地の面積は、日本の本州の6割に相当する14万5000平方キロにまで及んだ。放射線管理区域とは、放射線業務従事者が仕事上どうしても入らなければならない時だけに限って入る場所だ。普通の人々がそれに接する可能性のある場所は、病院のX線撮影室ぐらいだ。しかし、事故の影響もあり、ソ連は1991年に崩壊してしまい、特に汚染の激しい地域から約40万の人が避難させられただけで、残りの500万を超える人々は子どもたちも含めて未だに汚染地域で生活している。
地球被曝
当初、ソ連政府は事故を隠そうとしたがチェルノブイリ原発から1250キロ離れたスウェーデンのフォルスマルク原発で異常な放射能が検出され、事故が発覚し、4月29日、事故のニュースが世界を駆け巡った。当初日本とチェルノブイリ原子力発電所は8200キロ離れており、日本にまでは影響が及ばないだろうと考えられていたが、5月の初めごろに日本で異常な放射能が確認された。しかし、汚染の数値はその後、日が経つにつれて徐々に下がり始めた。ところが、5月の下旬になって一度下がった放射線の数値がまた上がり始めた。日本の空に届いた汚染は、地球を一周して日本に戻ってきたのだ。このことから、原子力発電所で事故がおきた場合、被害を食い止めるの非常に難しく、世界中に汚染物質がまき散らされてしまうことが分かる。
参考
小出裕章 『隠される原子力 核の真実』 創史社 布施哲也 『福島原発の街と村』 七ツ森書館