日本における宗教

出典: Jinkawiki

2015年8月5日 (水) 19:07 の版; 最新版を表示
←前の版 | 次の版→

目次

無宗教

日本人は、特定の信仰を持っていない人が多いのが特徴だ。國學院大学が2003年10月に実施した、20歳以上の男女2000人を対象にした世論調査では、「あなたは何か、信仰とか信心とかを持っていますか」という問いに対し、29.1%が「持っている」、70.9%が「持っていない」と答えている。また、2008年5月に読売新聞が実施した、20歳以上の男女3000人に対する調査では、「あなたは、何か宗教を信じていますか」という質問に、26.1%が「信じている」、71.9%が「信じていない」と答えた。

私たち日本人が宗教という言葉を聞いて真っ先に思い浮かべるのは、信者が熱心に宗教活動を展開しているものである。毎週日曜日に教会に通うキリスト教徒や、一日5回の礼拝を欠かさないイスラム教徒。そうした人たちに比べれば、日本人は宗教を信じているとは言えないと考えるため、多くの日本人は自分を「無宗教である」と捉えているのだ。


問題点

日本人は、外国人から「あなたの宗教は何か」と聞かれた際に「無宗教」と答えたり、「仏教」と答えたものの仏教について詳しく質問され答えに詰まる、ということが多い。これは外国人からすればまずありえないことだ。日本人以外の人々にとって宗教は当たり前に生活の一部であり、敬虔に宗教活動に励んでいなくとも、何かしら信じているのが当然だ。しかし日本人は、それを頭で理解していても、感覚としては理解することができない。そのため、無意識に他の宗教を軽んじたり、外国人と根本的な感覚のずれが生じたりすることが考えられる。また、何の信仰も持っていないことに対し、外国人から軽んじられたり、憐みの目を向けられる可能性もないとは言えない。そのようなことになると、日本人と外国人との交流に摩擦が生じることもあるかもしれない。個人的な交流ならばたいしたことではないが、国を背負う立場の人間が軽率な発言をして軋轢を生んでしまった場合は取り返しのつかない事態になる可能性もあるため、お互い注意が必要である。


利点

日本では、海外から入ってきた人々と日本人との間で、宗教をめぐる対立はほとんど起こっていない。日本人が無宗教で、外国人の宗教と対抗関係になっていないからだ。日本は、特定の宗教が社会全体を覆い、それ以外の宗教を排斥する状況になっていない。そのため、日本人が外国人の持つ宗教に対して干渉を行ったり、差別したりすることがないのだ。また、日本人が外国に行く際も、特定の信仰を持たないため比較的順応しやすく、宗教的対立が原因で問題になることはほとんどない。日本人は、外国人が当たり前にもっている“争いの火種”をひとつ持っていないのだ。

2001年に勃発した九・一一同時多発テロや、「イスラム国」による人質事件、各地での宗教抗争など、近年の国際的事件の多くは、宗教観念を根底にして行われている。宗教が争いを生んでいるといっても過言ではない状況だ。かといって、世界中の宗教を一つに統一することは現実的ではないし、そうしたところで、そこから外れた考えを持つ者は必ず生まれる。それでは埒が明かない。しかし、日本のような無宗教になればどうだろう。すべての人が様々な考えを受け入れ、どれも否定しない。それこそ現実的ではないかもしれないが、現に日本はそうして成り立っていて、宗教対立はないに等しい。宗教を信じている人々から見れば信仰をもたないことは恥ずべきことかもしれないが、それで争いが減るのであれば、無宗教であることは悪いことではなく、むしろ誇るべきことなのではないかと考えられる。


参考文献

「日本人はなぜ無宗教なのか」 阿満利麿/著 筑摩書房

「無宗教こそ日本人の宗教である」 島田裕巳/著 角川書店


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成