チェチェン紛争2
出典: Jinkawiki
2015年8月5日 (水) 23:19 の版; 最新版を表示
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・チェチェンについて チェチェンはグルジアに隣接する人口約80万、日本の四国ほどの大きさのイスラム系住民が中心の共和国で首都はグロズヌイである。旧ソ連時代には石油を年間400万tほど産出し、交通、運輸、地政学上の要衝の地にある。チェチェン人は19世紀以来ロシアの支配に対して激しく抵抗した。
・チェチェン紛争 紛争の舞台となっているチェチェンは、16世紀のイワン雷帝の時代から帝政ロシアの侵略を受け、19世紀にロシアに併合された地域である。併合後、現在にいたるまで、石油、農畜産物、兵役など、ロシアが必要とするさまざまな資源の供給源となってきた。1991年11月、チェチェン出身のジョハル・ドゥダーエフ空軍少将を中心とするチェチェン民族会議が、ソ連邦からの独立を宣言した。それ以来、チェチェンは事実上の独立状態にある。この独立運動は、長年の植民地支配に対する異議申し立てだったが、94年にロシア軍が武力侵攻で応じたため、戦争(第一次、第二次チェチェン戦争)となった。この戦争で、およそ100万人のチェチェンの人口のうち、8万人から10万人が死亡したと言われている。
・チェチェンを独立させない理由 チェチェン自治区は石油が出る。そしてカスピ海のバクー油田からの石油パイプラインが通っており、ロシアとしても手放せない。チェチェンは石油パイプの通過料を獲得し、政治的立場が強まると共にロシアからの独立の気運が高まったのである。
チェチェン総合情報 (http://www.y-history.net/appendix/wh1703-098.html)