フェルメール
出典: Jinkawiki
生い立ち
1632年10月31日、オランダのデルフトの新教会(ニウェ・ケルク)で洗礼を受け、受洗名簿に記載され、出生届が出される。洗礼の際の立会人の1人に、デルフトの画家レオナルト・ブランスルの親族と考えられるピーテル・ブランメルの名がある。 1653年4月5日、(当時21歳)カタリーナ・ボルメスと結婚。立会人のなかに、画家レオナルト・ブランメル(当時57歳)がいる。4月20日、デルフト近郊の村スヒップライデンでカトリックによる宗教上の式を挙げる(推定)。父の宿谷「メルレン」に新居を構える。12月29日、聖ルカ組合への加入を認められ、入会金6フロリン10スタイフェルのみを納める(全納し終えるのは1656年7月24日)。 1662年10月18日、聖ルカ組合の副会長に選出される。同組合は、収入を増やすために、徒弟入門の際の入会金を10スタイフェルから2フロリン10スタイフェルに値上げすることを決定する。 1675年12月15日、デルフトの旧教会(オウデ・ケルク)の記録に「ヤン・フェルメール、オウデ・ランゲンダイク居住の画家、当教会に埋葬」とあるが、死亡日時については記録はない。余白に、享年43歳で死亡した画家が、まだ未成年の子供たち8名を遺したと記されている。