難民5

出典: Jinkawiki

2016年7月29日 (金) 23:56 の版; 最新版を表示
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目次

難民とは

1951年国連難民条約によると、「難民とは、自国に帰ったら、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に政府などから迫害を受ける人」と記されている。 また今では、暴力や人権侵害、紛争、貧困、さらには環境破壊などを理由に住み慣れた土地を離れざるを得ない人たちが世界には何千万人と存在している。その例として、「民族浄化」のために、旧ユーゴスラビアから300万人以上もの人々が避難をしいられた問題などがある。 そして、「難民」は「移民」とは違ってくる。「移民」とは、よりよい仕事や教育、さらには家族との同居を求めて国境を越えて移動する人々のことである。「難民」とは違い、自国に帰還する場合に危険はない。 さらに、受け入れ国にとって、「難民」に対して、国際法で保障された保護を与える責任が生じるが、「移民」に対しては、自国の法律に基づいてそれぞれに応じた扱いをすることが認められているのだ。

難民の歴史~初めて難民を認知したのは~

国際社会がはじめて難民を認知し、その保護を決意し行ったのは、ロシア革命によって生まれた白系ロシア人難民である。およそ86万3000人の難民が発生し、彼らはヨーロッパ各地、中東、極東に逃れていった。 そして、新国家の登場や戦後の国境の変更があり、さらには、ナチスの登場により、長年ユダヤ人を迫害したロシア帝政が革命で崩壊した結果、ユダヤ人は解放が、その反面、財産等を失ってしまった者も多く難民となって地方や周辺諸国に逃れるユダヤ人が多く存在してしまった。

国連難民高等弁務官事務所の設立

1950年12月14日に国連総会決議によって設立した。国連難民高等弁務官事務所(United Nations High Commissioner for Refugees 通称:UNHCR)は人道的見地から紛争、迫害によって故郷を追われてしまった世界のさまざまな難民の保護とその難民に関する問題の解決へ向けた国際的な活動を先導、調整をする任務を負っている。説以来この60年以上にわたり、数千万人以上の難民の生活の再建を支援してきた。現在は約9700人の職員が世界約125か国で5700万人以上の支援に従事している。

難民条約について

1951年7月28日に外交会議により「難民の地位に関する条約」が採択された。第二次世界大戦1948年に「世界人権宣言」が採択され、庇護・保護を求める権利とすべての人間は差別されずに基本的人権を享受できることが確認された。さらに難民に関する問題がいまや世界的な問題となっていることや難民の保護を保証し、問題を解決するためには、国際的な協調と団結が非常に大切であるとされて、この条約が採択された。 しかし、1951年に「難民の地位に関する条約」が採択されたのちにも欧州やアフリカなど多くの地域で多くの難民が発生した。だが、この難民条約には、1951年1月1日以前に生じた事変で生じた難民にのみ適用される制約があった。そのため、それ以降に発生した難民には対応できないという問題が発生してしまった。そこで、1951年に採択された「難民の地位に関する条約」にあった地理的・時間的な制約を取り除いた「難民の地位に関する議定書」が1967年1月31日に採択された。 1951年の「難民の地位に関する条約」と1967年の「難民の地位に関する議定書」の2つを「難民条約」と呼んでいる。 日本では、昭和50年代前半のインドシナ難民の大量流出を契機に、難民問題に関する議論が高まってきた。そして、昭和56年6月に難民条約・議定書への加入が承認された。

難民情勢(2014年度)

2014年末時点で故郷から移動を強いられた人は5950万人で、新たに1390万人が家を追われてしまった。1年間にここまで人数が増えた例としては最多である。2950万人という数は、毎日平均4万2500人が難民や国内避難民になってしまったことを示している。つまり、世界で122人に1人が難民や国内避難民になってしまったことになる。また、難民の10人に9人(約86%)が途上国におり、難民全体の4分の1が後発開発途上国リストの上位国に集中している。さらに、2014年帰還した難民数は、1983年以来最も低い12万6800人だった。このうち約半数が、コンゴ民主共和国(2万5200人)、マリ(2万1000人)、アフガニスタン(1万7800人)であるのが現状である。そして、全難民のうち51%が18歳未満の子供であり、保護者のいない子供の庇護申請が82か国で3万4300人にのぼり、その多くはアフガニスタン、エリトリア、シリア、ソマリア出身の子供である。

難民の受け入れ国上位5か国

1・トルコ(159万人) 2・パキスタン(151万人) 3・レバノン(115万人) 4・イラン(98万2000人) 5・エチオピア(65万9500人)

難民の発生国上位5か国

1・シリア(388万人) 2・アフガニスタン(259万人) 3・ソマリア(111万人) 4・スーダン(66万人) 5・南スーダン(62万人)

日本における難民問題

日本は1970年代後半のインドシナ3国(ベトナム・ラオス・カンボジア)からの難民大量流出をきっかけに難民とのかかわりを深め、1981年に難民条約に加入した。2005年度をもって、日本のインドシナ難民の受け入れ事業は終了したが、その数11319人である。また、508人の条約難民の受け入れ(2008年時点)2010年から第三国定住の枠組みにより、ミャンマー難民を受け入れることもした。そして、受け入れた難民に対して、定住促進施設として設置されたRHQ支援センターにおいて、日本語教室の開設や就職等各種相談への対応をつうじた支援をしている。

日本の難民問題に関する問題点

日本には難民認定(母国において迫害を受ける恐れのある人に在留許可などを与える制度)を求めてやってくる人が多くいる。2014年には5000人以上が難民申請を行ったが、日本政府が認定した難民は11人である。全体で日本には121人が難民認定を受けている。しかしこの数字は他国に比べてまだまだ少ない状況あるのが現状だ。世間は、日本の難民認定の基準が国際的な基準より厳しいという声があがっている。しかし、日本では虚偽の難民申請をする人や日本で働くことを目的に難民申請をする人もいるため厳格な審査が必要だと考えている。だが、このような厳しい基準で本当に保護を必要としている人を救うことはできるのだろうか。現在、難民認定に関する課題が多くある。例えば、適正な難民認定手続きの整備だ。難民の人権を尊重し、国際基準にあった認定手続きができるように整備することだ。また、認定を待つ人たちの処遇の改善だ。以前、男性が収容されていた入国管理センターで相次いで死亡した事件がある。それに伴い、医療体制をはじめとする環境の改善や生活支援をしっかりしていくべきであるという課題とされてる。


参考文献

丸山直起(2005.2.28) 「太平洋戦争と上海のユダヤ難民」 法政大学出版局

竹田いさみ(1994.9.20) 「移民・難民・援助の政治学」 株式会社勁草書房

アムネスティ・インターナショナル日本支部(1996.9.30) 「アムネスティ人権報告⑤ 世界の難民の現在(いま)」 株式会社明石書店 http://www.unhcr.or.jp/html/index.html UNHCR Japan 国連難民高等弁務官事務所 (2016年7月15日 閲覧) http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/nanmin/main3.html 国内における難民の受け入れ | 外務省 (2016年7月15日 閲覧) http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/nanmin/main1.html 難民問題 | 外務省 (2016年7月15日 閲覧) http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jindo/jindoushien2_unhcr.html 世界の難民・国内避難民等の状況 | 外務省 (2016年7月15日 閲覧) http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-09-08/2015090803_02_0.html なんだっけ?/難民と移民の違いは? (2016年7月15日 閲覧) http://www.aarjapan.gr.jp/activity/emergency/refugee.html 世界の難民と日本の難民支援|日本生まれの国際NGO AAR Japan[難民を助ける会] (2016年7月15日 閲覧)

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