ソマリアの海賊
出典: Jinkawiki
目次 |
ソマリアの海賊とは
1991年、ソマリア民主共和国で内戦が勃発し、ソマリアの国土は大きく分断されてしまった。エチオピア軍の支援を受けた暫定政府が、首都であるモガディシュを制圧したが、依然として実質的には、無政府状態が続いており、現在でも、ソマリア国土は、南、北、北東の3つの分断されたままになってしまっている。長らく、無政府状態が続いていることで、治安維持組織が機能しておらず、略奪や、強盗、海賊の出現など、ソマリアでは治安の悪化が進んでしまっている。彼ら(ソマリア沖の海賊ら)は、ソマリア周辺の海域のアデン湾とインド洋をおもな活動拠点としている。スエズ運河、紅海を経由し、地中海、インド洋間を往来する貨物船や、商船をおもな標的としている。ソマリア沖の海賊は、おもな使用武器として、AK-47(旧ソ連軍が公式に採用していた自動小銃)や、携帯型ロケットランチャーなどで武装しており、移動や襲撃の際には、小型のモーターボートを改造した物を使用している。ソマリア沖の海賊は、元々漁師と言うこともあり、潮の流れや近海の事情には非常に詳しく、貨物船や、商船、客船が逃げる切ることは、非常に難しいとされている。
ソマリアの海賊の誕生の背景
海賊の大半が、もともと漁師などの漁業によって生計をたてていた。モハメド・シアド・バーレが政権を握っていた時代には、ヨーロッパや日本も漁船や港の整備など、ソマリアの漁業に対して援助を行っていた。しかし、1991年にバーレ政権が崩壊して以降は、内戦の影響で漁業が行えなくなり、魚の輸出が困難になってしまった。さらに、そこに目をつけた外国船(おもにヨーロッパの船)が、ソマリア近海で魚の乱獲をおこなったことで、漁業で生計をたてていた人々の生活は、より困窮したものになっていった。さらに、1991年代に締結した「ソマリア周辺の沿岸に産業廃棄物の投棄を認める」という条約に基づいて、産業廃棄物が投棄されるようになった。この産業廃棄物には、多量の放射線が含まれており、漁師を中心とする沿岸地域の住民数万人が発病するという事態になった。漁業で生計をたてていた人々の多くは、外国船による魚の乱獲と、発病者の急増による人手不足が影響し、より困窮な生活を強いられるようになってしまった。そのような中で、人々は自ら武器を手に取り、自分たちの漁場を防衛するようになったが、その一部が海賊として、略奪などを行うようになり、それが拡大していき、ソマリア周辺では海賊による事件が多数発生するようになった。ある一部の見解として、困窮から海賊になったとすれば、ロケットランチャーや自動小銃を手に入れたり、ボートを改造するほどの資金を持ってないのではないか。彼らが海賊になるにあたり、武器やボートの提供を行ったり、背後で何らかの組織が手を貸しているのではないかという見解も存在する。