ローザパークス
出典: Jinkawiki
←前の版 | 次の版→
目次 |
ローザパークス
本名はローザ・リー・ルイーズ・マコーリー・パークス。1913年2月4日に黒人差別が激しかった南部アラバマ州のアフリカ系アメリカ人の家庭で生まれ、2005年10月24日に老衰のために亡くなった。アメリカ合衆国の公民権運動活動家である。
ローザパークス事件
当時アメリカ南部諸州にはジム・クロウ法が施行されており、公共交通機関を除く日常生活のあらゆる場所で黒人と白人は隔離されていた。制度上、バスなど公共の場所で人種隔離が実施され、また黒人の投票権も事実上制限されていた。1955年12月1日に当時42歳だったローザは、百貨店での仕事の後に帰宅するために市営バスに乗車をしたがバスは白人席と黒人席に分けられていて白人が乗車していない時は黒人も中間の席に座ってよいことになっていた。黒人席が一杯だったのでローザが中間席に座っていると、だんだんと白人が増えてきて、座れない白人が出てきたために、運転手は中間席に座っている黒人に立つよう命じる。座っていた黒人4名中3名は席を空けたが、ローザは立たなかった。運転手がローザの近くにきて「なぜ立たないのか」と問い詰めて席を立つように命じたが、ローザはそれを拒否して座り続けたのだ。その後、ローザは市条例違反で逮捕された。警察署での逮捕手続きが終わると一旦は市の拘置所に入れられたが、即日保釈され、やがてモンゴメリー市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を受けた。
公民権運動
公民権運動については、ローザの行動がきっかけとなり、モンゴメリー市でのバスボイコット運動が始まった。そして、その運動はキング牧師によって指揮されることとなり、黒人たちはバスを利用することをしないバスボイコット運動を381日の間続けた。結果的にこの運動に勝利し、さらにはワシントン大行進によって抗議集会を開催するなどを行い、1964年の公民権法の成立にまでつながっていたのである。このように公民権運動を活発にするきっかけを作ったローザは「公民権運動の母」と呼ばれるようになったのである。
参考・引用文献
ポップの世紀 http://zip2000.server-shared.com/rosa-king.htm
Netdoor http://www2.netdoor.com/~takano/civil_rights/civil_04.html
HN.kk