自己責任論

出典: Jinkawiki

2008年7月17日 (木) 08:08 の版; 最新版を表示
←前の版 | 次の版→

個人、組織に対して、自らの行動により発生した社会的責任は自らが全うしなければならないとする主張。

自業自得論とも云われる。

本項ではイラク戦争における日本人人質事件に関して、日本で取り沙汰された「自己責任論」を考察する。

イラク戦争・日本人人質事件

2002年に勃発したイラク戦争において、武装集団による外国籍のNPOやボランティア、民間企業、占領軍関係者を拉致・監禁する事件が多発した。

その犯行声明において要求されたのは各軍のイラク国内からの撤退であり、2004年に日本人が人質となった際にも自衛隊の撤退が要求されている。

この件は日本国内で大きく取り沙汰されたが、日本政府は自衛隊の撤退を一貫して拒否した。当時イラク国内における日本人への撤退勧告が行われていたこと、また被害者の家族による自衛隊の撤退要求などがメディアによって報道され、拉致被害者の「自己責任」を主観に置いた議論が国内政治家やマスコミをはじめとして数多くなされた。

ところがこの「自己責任」には問題がある。まず民主国家が国民の生命を助けようとするのは当然の原理である。

日本人が政治的交渉の材料になると思わせない(同じ様な事件を再発させない)ために撤兵を拒否した点は間違ってはいない。だが後に救助された被害者がイラク国内での活動を続けたいと言った時の当時の首相 小泉純一郎の言葉を以下に記しておく。

「これだけの目に遭って、多くの政府の人たちが自分たちの救出に寝食を忘れて努力してくれているのに、なおかつそういうこと言うんですかねえ。やはり自覚というものを持っていただきたいですね」

「自覚」とは何の自覚であろうか。努力して"くれている"とは随分立場を弁えない自分勝手な発言である。繰り返すが、民主国家が国民の生命を助けようとするのは当然の原理である。何故なら国民に支持されなければ「民主的に」政府が成立することなど絶対に有り得ないからだ。

また初期の被害者3人のうち2人はジャーナリストであった。イラク国内の情勢を日本に伝え、場合によっては(彼らが自衛隊の出兵を拒否していたこととは関係なく)自衛隊の支援の必要性を訴える切っ掛けにもなりうるものだ。

また「撤退勧告」には法的拘束力はない。つまり彼らは決して法を犯したわけではないし、それを判断できなかったのであれば「危険と知りながら」というのは決して自明なものにはならない。

つまり多くのメディアによって発せられた本件に対する「自己責任」という言葉は、そのほとんどが政府の怠慢によってもたらされた誤情報であり、本来の自己責任とは全くかけ離れた内容となってしまっているのである。


参考

Lastdate(生田武志)

数学屋のメガネ(宮台真司)


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成