黒人差別2

出典: Jinkawiki

2016年8月1日 (月) 22:23 の版; 最新版を表示
←前の版 | 次の版→

黒人奴隷制度

 1619年、20 人のアフリカ黒人が植民地労働力として、ジェームズタウンに輸入された。しかし、この時すぐに黒人奴隷制度が成立したわけではなかった。イギリス本国による奴隷貿易の励、原住インディアンの奴隷化の失敗、白人年期奉公人制度への不満が募った結果 として、1641 年から黒人奴隷制度が推し進められ、次第に植民地全土にわたって法令化されていった。北部の奴隷商人の利益と、より一層安価で安定性のある労働力を求める南部 のプランターの利益とが合致した結果、黒人奴隷制度は急速に発展したと言える。

黒人差別の現状

 現在も黒人と白人の経済的格差は依然として大きく、黒人内部に階層分化が進行している。さらに、膨大な数の貧困層が生れ、失業、貧困、社会的無秩序、隔離、家庭崩壊、住 宅と学校の劣悪化などが一層進行していっている。大都市中心部にある人種的に隔離された黒人居住地区をゲットーという。ここでは 市の他の地区が受けられる公共サービスが受けられず、人々は、貧困状態陥っているため、失業、犯罪、麻薬中毒、アルコール依存症、伝染病、早期死亡、自殺などが多発している。政治進出と雇用の現状においては、1970年代、黒人の政治的諸権利の行使、特に南部諸州における黒人有権者の登録が急速に進み、裕福な黒人たちの政治進出が際立った。1990 年、ワシントンの市長選挙で 民主党の黒人女性が当選し、アメリカ合衆国史上初の黒人女性市長が誕生した。1940 年、わずか33人だった黒人公職者は、現在、9061 人(2001 年)にまで増加した。黒人公職者の増加は、公民権運動の成果を象徴的に表わしていると言えるが、公職者全体に占める黒人の割合は、総人口比に比べると差が大きく、いまだ政治進出における白人 との不平等は歴然としているといえる。  


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成