ローザパークス事件2
出典: Jinkawiki
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ローザ・パークス
ローザ・パークスは1913年2月4日に南部アラバマ州のアフリカ系アメリカ人の家庭に誕生したアメリカ合衆国で活動を行っていた公民権運動活動家である。1955年、アラバマ州のモンゴメリーで公営バスに乗っていたところ、バスの運転手に白人に席を譲るように命令されたが、その指示を無視し人種分離法違反の容疑で逮捕された。これを契機にその後黒人たちによるモンゴメリー・バス・ボイコット事件が勃発するなど、公民権運動のきっかけとなったことで、ローザは米国史における文化的象徴となり、米国連邦議会からも「公民権運動の母」と呼ばれるようになった。
黒人差別と逮捕
当時の米国の南部諸州では黒人差別が激しく、白人と黒人を公共の場の席で別にするというジム・クロウ法などの制度が実施され、さらに黒人の投票権も制限されていたのである。
1955年12月1日18時ごろ、ローザは百貨店での仕事を終え帰りに市営バスに乗車していた。バスも白人と黒人の人種分離の制度が影響していて、席は白人席と黒人席に分けられていた。しかし白人が乗車していない場合は黒人も白人が座る中間の席に座ることが可能であった。黒人席が満席だったためローザは中間席に座っていたが、後に白人たちの乗車数が多くなってきていた。立って乗車しなくてはならない白人も出てきたため、運転手であったジェイムズ・ブレイクは中間席に座っているローザや他の黒人たちに立って白人に席を譲るよう命じた。座っていた黒人たちは席を空けたが、ローザだけは席を立つことはなかった。ジェイムズ・ブレイクがローザのところに来て席を譲るよう再び声をかけたが、ローザは頑なにこれを拒否し、席を立つことはなかった。運転手は警察に連絡し、人種分離法に違反しているとされローザは逮捕。罰金刑を受けることとなった。
バスボイコットと判決
この事件に衝撃を受けた人物がいた。マーティン・ルーサー・キング牧師である。彼はモンゴメリー市の教会に赴任してきたばかりであった。この事態に影響された彼らは平等や自由を求め、バスボイコットによる抗議を黒人たちに呼びかけたのである。黒人たちにとってバスは必須であり、バス利用者全体の75%は黒人が占めていた。このバスボイコットはバス路線を運営していたモンゴメリー市にとって、利用者のほとんどであった黒人たちがどこへ行くにも車や徒歩で移動するようになってしまったため、経済的に大きな打撃を受けることとなった。ボイコット運動は381日間続き、1956年11月、ついに連邦最高裁判所はローザの事件での公共交通機関における人種隔離を定めたアラバマ州法とモンゴメリー市条例に違憲判決を下したのである。
参考文献
- ローザ・パークス[1]
Y.S