宗教12②
出典: Jinkawiki
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古代エジプトの宗教
古代エジプト人は、人間は死んでも魂は死なずに死後の世界に行き、ときにはもとの体に戻ってくると信じた。そのため、死体の体はミイラにされて墓所に安置された。魂が死後の世界へ赴く過程や、死者の神オシリスの前で、死者が障害になした善悪を判定するための秤にかけられる様子は、『死者の書』と呼ばれる文書に記されている。 古代エジプトの宗教は、太陽神ラ―など多くの神々を信仰対象としていた。エジプトの遺跡としてはピラミッドが有名だが、これは王(ファラオ)の墓である。死後の王の永正を願い、また王の威厳を示すためのものである。
ゾロアスター教
ゾロアスター教は現在のイラン北東部からアフガニスタンにかけての地域で古代に興った。寺院には、日常生活や祭儀に欠かせない聖なる火が絶えることなく燃えており、それが崇拝されるので、拝火教ともよばれる。創始者はゾロアスターで、聖典は『アヴェスタ』であり、典型的な二元論が説かれている。それは生命・光と死・闇との戦いでもある。そのどちらに所属するかは、人間の自由意志とされるが、各自がなした行為は、死後その魂が報いを受けることになる。さらに、最後の審判、終末における救世主の登場といった観念は、ユダヤ教、キリスト教などにも影響を与えたとされる。
ユダヤ教
ユダヤ教は民族宗教であり、その起源は明確ではない。ただユダヤ教徒の考えでは、紀元前13世紀前半頃、モーセの指導によりイスラエルの民がエジプトから脱出し、シナイ山において神ヤハウェと「シナイ契約」と呼ばれる契約を結んだのがユダヤ教の始まりとなる。ユダヤ教の戒律は厳格であり、613の戒律が定められた。最も有名なのは、安息日に関するものであり、金曜の日没から土曜の夕方までが安息日で、この日は仕事をしてはならない。種をまくこと、結び目を作るなど安息日に禁じられている行為は、その他の事項を含め、合計で39にも及ぶ。また多くの食べ物に関するタブーがある。
仏教
仏教の創始者であるゴータマ・シッダッタは、お釈迦さま、釈尊、ブッダ(仏陀)などさまざまに呼ばれる。ブッダとは悟った人(覚者)の意味で、釈尊とは釈迦族の聖者という意味である。ブッダの伝記が文字に記されるのは、没後数百年経ってからであるため、確かな事実を知り得るわけではなく、多くの説があり、内容がかなり神格化されている。 ブッダの悟りや仏教の中心的教えについてはの説はいくつかに分かれ、15種類ほどあるとされている。そのなかで代表的な説は、四諦八正道を悟ったというものである。これは、4つの真理とそれをえるための8つの正しい道である。根本的な4つの真理は、人生の現実は自分の思い通りにはならず苦である(苦諦)、その苦は煩悩やもろもろの欲望から生ずる(集諦)、それらの欲望を滅することで悟りが開かれる(滅諦)、そのためには正しい実践を行わなければならない(道諦)、そしてその正しい実践が八正道である。 人生が苦に満ちている(一切皆苦)というのは、仏教の基本的な教えである。それは四苦八苦として示される。また、三法印という示された教えがある。
キリスト教
イエスは紀元前4年頃、今のイスラエルのガリラヤ地方のナザレに生まれ、紀元後30年頃死亡したとされる。幼少の頃の確かな記録はないが、十字架にかけられ処刑される前の2年余りの言行が、福音書によって知られている。福音書とは、新約聖書のなかで、イエスの言行録を記したものである。 イエスは人々に神の国が近いことを説き、病人を癒したり、悪霊を追い払ったり、死者を蘇らせるなどの奇跡をなしたとされている。だがユダヤ教の律法学者やパリサイ派の指導者などは、彼の言動はユダヤ社会の秩序を乱すと感じた。やがてイエスは弟子に裏切られ、ユダヤの最高法院によって逮捕され、「神の子」と称していることが涜神の罪にあたるとして死刑の判決を受けた。イエスが生存していた頃のユダヤ教には、パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派の3党派があった。イエスの立場はエッセネ派に近かったとされ、パリサイ派に批判されるが、内面の信仰と実践を重視した立場から、逆にパリサイ派の形式的儀礼の順守を批判した。 宗教的な意味での「復活とは、死者が蘇ることはあるが、キリスト教徒にとっては、とくに十字架にかけられたイエスが、死後蘇ったことをさす。これは単に生き返った、つまり蘇生したということではなく、もはや死ぬことのない「栄光の体」として蘇ったことを意味する。それはイエスが神の子であることの証明とも考えられた。このイエスの復活を記念し祝うのがイースター(復活祭)であ、キリスト教会暦の祝祭では最も古い。 通常聖書と呼ばれているのは旧約聖書と新約聖書の2つである。旧約聖書はもともとユダヤ人の聖典であるが、キリスト教徒も聖典と考えている。旧約聖書はヘブライ語で編集され、天地創造の話から始まる創世記をはじめ、多くの律法書、預言書、その他からなる。古代ユダヤ人の神話、歴史、法律、生活習慣、文字など多くのことがわかる。とくに、最初の律法5巻はモーセ五書と呼ばれ、ユダヤ人のアイデンティティと生活の規則にとって重要な意味を持つ。旧約聖書は紀元前3世紀なかばから紀元2世紀にかけてギリシア語に訳された(「セプトゥアギンタ」)。新約聖書はキリスト教の聖典であり、イエスの言行録(福音書)や弟子たちの手紙などが中心である。
イスラーム
イスラム教はかつてマホメット教、回教、清真教など様々に呼ばれていたが、これらは今日ではほとんど用いられず、イスラームという言い方が広がっている。イスラームとは「(神の意志や命令への)絶対帰依・服従」を意味する。世界に約10億人いると推定されているムスリムの信じる神はアッラーで、唯一絶対神である。7世紀前半にイスラームが出現する前のアラブ世界は多神教であったが、イスラーム以降、この唯一神への信仰は急速に広まっていった。 イスラームでは偶像崇拝が激しく禁止されており、創始者ムハンマドに関しても同様である。偶像崇拝の禁止は、実はユダヤ教と共通している。十戒として知られるモーセの教えには「自分のために、偶像を造ってはならない」とあり、「あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない」ともあるが、この点はイスラームでは異なり、ムスリムはことあるごとに神の名を唱え、神をたたえる。その際、神にはいろいろな形容の言葉をつけるが、代表的なのは「アッラー・アクバル」(神は偉大なり)などの表現である。 イスラームの創始者ムハンマドの誕生には神話化された伝承がある。メッカのヒラ―山でうとうとしているとき、天使ガブリエルから啓示を受け、しだいに預言者としての自覚を深めたとされる。ムハンマドが神から受けた啓示がイスラームの聖典であるクルアーン(コーラン)に記されており、この啓示を使徒に読み聞かせていたという。使徒はその内容を記憶し、ムハンマドの死後にクルアーンの編纂を行った。クルアーンの全体は114章からなり、内容は、天地創造、終末、審判、天国と地獄、預言者、礼拝、断食、巡礼、タブー(ハラーム)、ジハード(聖戦)など多岐にわたり、宗教的内容に限らず、日常生活の法律、道徳などについても記されており、ムスリムはこれをすべての行動の基本原則としてきている。アッラーの啓示というが、ノアの洪水、出エジプト、イエスの話など旧約聖書や新約聖書の影響もうかがえる。これはムハンマドが当時のマッカ(メッカ)近辺にいたユダヤ教徒やキリスト教徒と交流するなかで、その宗教思想を形成したからと考えられる。 ムスリムが事実のものとして信じるのは「六信(アッラー、天使、啓典、預言者、来世、予定)」であり、この世からあの世まで、一貫した世界観をもっており、誰が救われ、誰が救われないのか、彼らには明確であるとされている。また、ムスリムが求められる基本的な実践は、信仰告白(シャハーダ)、礼拝(サラート)、喜捨(ザカート)、断食(サウム)、巡礼(ハッジ)の5つあり、五行(あるいは五つの柱)と呼ばれる。ムスリムは生活の中に宗教が自然にとけこんでおり、断食も祈りも当然のこととして受け容れるものとされている。 イスラームの信仰共同体はムハンマドの死後、内部争いはいまだに続いている。その最大のものがシーア派の分裂であると考えられている。シーア派も当時は「アリー派」と呼ばれていた。アリーは、スンニ派では第4代カリフ(神の代理)であるが、これを認めないウマイヤ家との間で戦いが起こった。その最中にアリーはかつての味方によって殺されしまい、ウマイヤ朝が始まった。シーア派は預言者ムハンマドの実の孫が殺されたことをきっかけに生まれた。今日でもムラッハム月(第1月)10日には、この事件を思い起こし、フサインの受難劇を繰り返す。シーア派は、アリー以前のカリフ(アブー・バクル、ウマル、ウスマーン)を認めず、アリーとその後裔である「預言者ムハンマド家の人々」のみを正統な後継者としている。このように、ムスリムの9割を占めるスンニ派に対するシーア派の形成は、預言者ムハンマドの孫が殺された事件が深く関わっていることは明らかである。
参考文献
図解雑学 宗教 最新版 井上順考 ナツメ社 改訂新版 総解説 世界の宗教 ―失われた宗教・民族の宗教、世界三大宗教がわかる 高尾利数ら 自由国民社
A.K.