偏差値

出典: Jinkawiki

2017年7月5日 (水) 10:38 の版; 最新版を表示
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目次

偏差値とは

 事前に自分の実力を知るために模擬試験を受けると「偏差値」によって合否が判断されます。偏差値は、試験を受けた人達の中で、個人がどのくらいの位置にいるかを示す統計的な概念です。テストは、そのたびに難易度に差がでる。その誤差をなくして、なんとか成績を比較できるようにしようとつかわれるようになったのが偏差値です。


偏差値の歴史と計算方法

 偏差値という概念自体は、昔から統計学の中にありましたが、これが進路に使えることに気がついたのは、元中学校教諭で教育評論家の桑田昭三さんです。  1952年、桑田さんは東京都内の公立中学校の担任をしており、母子家庭で経済的に苦しい教え子に都立日比谷高校を受験させるが、不合格になるという経験をする。 事前の「志望校判定会議」の席上、成績が学年順位13位のこの生徒は、進学指導担当の先生から「日比谷高校は無理」と判定されます。桑田さんは、「学年順位が11位の生徒はOKで、13位の生徒はなぜ無理なのか」と食い下がりますが、先輩の先生から「それは勘です」と言われてしまう。これに反発した桑田さんは、「志望校判定会議」の結論に反して、この生徒に日比谷高校を受験させますが、結局、先輩の先生の「勘」が正しいことを思い知らされる。この時の悔しさをもとに、桑田さんは勘に頼らない、進学指導のための科学的な基準はないものかと数学の専門書を読みふけり、偏差値を見つけ出したのです。もともと偏差値は、「教え子の受験校選びに適切なアドバイスをしたい」という中学校教諭の熱意が発見させたものだったので、1957年に初めて進路指導に活用されるようになる。  偏差値の「偏差」とは、全体の平均からどのくらい片寄っているかを示す「片寄りの程度」のことです。簡単にいえば、テストを受けた全員の平均点を50とし、最高点を75程度、最低点を25程度の数字で表す方法のことです。 まず全員の成績から、統計学の理論を使って「標準偏差」を計算する。次に、個人の点数から平均点を引く、この結果がプラスでもマイナスでもかまわない。そのままの数字を「標準偏差」で割り10倍し、これが標準点=50からの片寄り具合を示します。これに50を足すと、偏差値が出る。例えば、片寄り具合がプラス10だったら、偏差値は60になり、片寄り具合がマイナス10だったら、偏差値は40。となる。これをグラフに直し、試験の得点別の人数を曲線にすると毎回さまざまな曲線を描く、これを数学的に処理することで、無理やり「正規分布曲線」にして、その曲線の中での位置を示すというものが偏差値である。「正規分布曲線」とは、曲線の山の中心が50の位置にあり、左右対称になだらかな曲線を描くものです。


「偏差値」と私立高校

 この偏差値を使うことで、これまでベテランの先生の「勘」に頼っていた進学指導が経験の浅い先生にもできるようになり、計算で出た偏差値を使って「君のこの偏差値なら、この高校は大丈夫、ここはちょっと危ない」と判断できるようになった。  この結果、これまでおおよそのランクづけされていた高校が偏差値順に序列化されることになり、これまで「あそこの学校の校風に憧れて」進路を決めていた生徒に対して、「君の偏差値なら...」という指導が行われるようになる。「この子の将来にとって、どの高校がふさわしいか」という意識はどこかに消え、偏差値という数字だけを頼りに指導が行われるようになり、偏差値至上主義、偏差値のひとり歩きが始まる。  中学校の現場では、区内や市内、県内全体の中での生徒の成績を知るために業者テストを学校内で受けさせて偏差値を知るということが一般的になり、これに目をつけたのが私立高校でした。  公立高校との競争の中で、なんとか成績のいい生徒を確保したい私立高校は、”青田買い” 公立高校の入試が始まる前に「事前相談」を行い、成績によって合格を「確約」するという仕組みで、私立高校から確約をもらった生徒は形式的にその学校を受験すれば、必ず合格通知がもらえる、ということをしていました。  私立高校にしてみれば、本番の入試の前に合否を決めてしまうわけですから、なんらかの“客観的”な基準が必要です。中学校の調査書(内申書)では、学校間の格差や、先生が“手心”を加えるかもしれないが、全県一斉に行われている業者テストの偏差値なら生徒の成績が“客観的”に判断できる。このため、中学校の進路指導の先生が、生徒の偏差値データをもって高校に事前相談に行き、高校は自校で決めた偏差値の最低点を上回っていれば、合格を確約するという習慣がすっかり定着しており、特に埼玉県では、ごく一般的となっていた。


偏差値ストップ

 1992年10月、竹内教育長は、”正規の入試が形ばかりのものになっていること、2学期までの成績で合否が決定され、中学校教育を完全に行うことができないこと、一部の私立高校だけが抜け駆けして内定し、不公平感がある”ことなどを理由に埼玉県内の中学校に対して、業者テストによる生徒の偏差値を高校に提示しないように指示しました。 これを知った当時の鳩山邦夫文部大臣は、埼玉県の方針を断固支持することを発表し、文部省は翌年の2月、中学校で業者テストを利用することを全面的に禁止するように全国に通知しました。文部省が行った全国業者テストの利用状況の調査では、北海道と長野県、大阪府以外のすべての都道府県で業者テストが利用しており、埼玉県のように業者テストの結果を私立高校に提出していたのは14都県でした。突然の「偏差値」追放は、中学校の現場に混乱をもたらすだけではなく、偏差値というただ1つの数字の物差しだけを使って進学指導してきた中学校側の安易な姿勢を問うものでもあり、「入りたい高校より、入れる高校」という指導を中学校自ら行ってきたことに強い反省をせまるものでした。また、中学校で授業中に業者テストを受けるということはなくなったが、生徒が日曜日に学校外の会場で業者テストを受け、偏差値を知るというスタイルに変わっただけで、今でも偏差値は進路を決める上で重要な役割を担っている。

高校入試は多様化へ

 文部省は、偏差値を追放しただけで終わることはなく、高校のレベルを偏差値で評価できない状況を作り出そうと高校入試を多様化するように全国の都道府県の教育委員会に指導しました。例えば、1つの高校の中にさまざまなコースをつくり、生徒が自由に選択できるようにした「総合高校」です。総合高校が生まれた背景には、偏差値による進学指導は、対象になる高校がみんな同じ種類の学校で、同じ選抜方法をとっていることを前提にしていたので、文部省は選抜方法を多様化し、学校の種類も多様化することで「偏差値に頼らない進学指導」になると考えたのです。  また、高校は推薦入試の割合を増やしたり、学力試験を傾斜配点にしたり、学力試験と内申点の比重を変えたりすることで、偏差値至上主義からの脱却をはかるが、推薦入試は、一般入試よりも早期に行われ、合否も早く決まります。そのため、高校入学が決まった中学3年生は、その後の授業に身が入らず、3学期に授業が成り立たなくなる学校も出るなど私立高校の“青田買い”のときと同じ弊害が指摘されたり、学力試験のない推薦入試の割合が増えることで中学生の学力低下への懸念もある。


参考文献

・池上彰(2014)「池上彰の日本の教育がよくわかる本」PHP研究所

-saly


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