ベトナム戦争28
出典: Jinkawiki
ベトナム戦争とは1965年から1975年4月まで行われたベトナム内での内戦である。この戦争は南ベトナムと北ベトナムとの争いだけではなく、南ベトナム(ベトナム共和国)にはアメリカ、北ベトナム(ベトナム民主共和国)にはソ連がつくなど、冷戦の影響もあった内戦であった。
1.第二次世界大戦前のベトナム
第二次世界大戦前のベトナムはフランスの植民地となっており、フランス領インドシナ連邦としてフランスに従属していた。20世紀前半からベトナムでは独立運動が起きており、ファン=ボイ=チャウを中心に、フランスからの独立、立憲君主制の樹立を目指す運動が組織されており、この組織は維新会と呼ばれるようになっていた。維新会は、日露戦争に勝利するなど、強国化を果たしつつあった日本の姿に鼓舞されて、日本から軍事援助を得ようとする活動、日本へ留学生を送り新しい学問や技術を学ばせようとするドンズー運動(東遊運動)も組織された。(結果は日本とフランスの弾圧により失敗に終わった)
2.第二次世界大戦中のベトナム
ドイツのポーランド侵攻から第二次世界大戦は始まった。ベトナムはフランスの植民地であったが、フランスはドイツに敗北し1940年6月にドイツに降伏する。さらに日本が資源を求めて南方方面に侵攻。日本が大戦中は日本がインドシナ連邦に進駐する。 しかし、日本も1945年8月に降伏。第二次世界大戦が終結する。日本の敗北を受けて、1945年9月、北部にホーチ・ミン率いるベトナム独立同盟がベトナム民主共和国を樹立することを宣言する。
3.第二次世界大戦後のベトナム
しかし、フランスはこの独立を認めたくない。そのため、フランスは南部に傀儡政権を樹立させる。この傀儡政権は、ホーチ・ミンの北ベトナムと争うこととなる。 この戦争は8年に亘って行われ、最終的にはフランスの敗北で終わる。最終的には1954年7月のジュネーブ協定により北緯17度線を境界として、ベトナムは分断されることとなる。南ベトナムはアメリカの後ろ盾を得ていたゴ・ディン・ディエムが大統領となりベトナム共和国となる。 だが、南ベトナムのゴ・ディン・ディエム政権の政治は自らに反対する者がいれば秘密警察を使い弾圧し、さらに政権がキリスト教中心であったこともあり、南ベトナムの上座部仏教の僧侶たちを苦しめるなど、まさに恐怖政治そのものであった。このような現状から、国民が反政府化し、1960年には南ベトナム解放戦線(ベトミン)が結成された。ベトミンは北ベトナムの援助を受け、政府軍と互角に戦うまでとなった。この頃、南ベトナムでは軍部によるクーデターが発生。ゴ・ディン・ディエム大統領は殺され軍事政府が成立することとなる。
4.トンキン湾事件
1964年にアメリカの軍艦が北ベトナムの警備艇に攻撃を受けた事件。この事件をきっかけにアメリカはベトナム戦争への介入を決定する。後の1970年にトンキン湾事件はアメリカのでっち上げであったことが明らかとなる。アメリカとしては、軍事介入するきっかけが欲しくて行われたのではないかと言われている