ハル・ノート

出典: Jinkawiki

2018年1月12日 (金) 21:29 の版; 最新版を表示
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ハル・ノート

ハル・ノートとは、日米交渉の最終段階における1941年11月26日にアメリカ側からの提案である。


1941年11月5日、御前会議は日米交渉最終案(甲案、乙案)と12月1日までに交渉が成立しない場合の対米英開戦を定めた「定刻国策遂行要領」を決定、野村吉三郎駐米大使に訓電した。

電文を傍受したアメリカ国防省は基礎的一般協定案と妥協的な暫定協定案を作成したが、中国が妥協に強く反対したうえ、作戦準備のための南下中の日本の輸送船団が発見されたことから暫定協定案は破棄された。

26日基礎的一般協定案のみがハル国防長官から、野村・来栖三郎両大使に手交された。


ハル・ノートと呼ばれる同案は、アメリカ従来の主張である領土保全・主権尊重などのいわゆるハル四原則の確認と、中国・仏印からの日本軍の全面撤退、蒋介石国民政府の正当性の確認、日独伊三国同盟の死文化など、日本側が満州事変前の状態に戻ることを迫る内容であり、日本側の到底受け入れられないものであった。

大本営政府連絡会議は同案をアメリカからの最後通牒であると結論付け、12月1日の御前会議で対米英開戦を決定、5日に対米最終通告案が閣議決定された。


参考文献

「日本史事典」 朝倉書店

コトバンク  ハル・ノート

http://kotobank.jp/word/%E3%83%8F%E3%83%AB%EF%BD%A5%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88-1197175


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