オランダの安楽死3
出典: Jinkawiki
「自発的安楽死」への社会的関心
「かかりつけの医師」や「家庭医」などの制度が発達していたオランダでは、1971年の「ポストマ女医事件」が報道されて以来、同女医に対する「同情」と「支持」が、患者や家族をはじめ、多くの市民から寄せられた。また、開業医の多くは「私どもも、今までに、少なくとも、一回は、同様な罪を犯している」という「公開状」に署名して、オランダの法務大臣に提出し、「ポストマ女医」への支援の活動を行った。オランダにおける「自発的安楽死」への関心は、この事件以降高まることになる。
「ポストマ女医」の有罪の判決の直後に、「オランダ自発的安楽死協会」が設立された。オランダ警報の293条を改正して、「医師による自発的安楽死の実地を法的に認めるよう」法改正を求める運動を開始することになった。 同じころに、法律家のファン・ティル博士が中心となって、「自発的安楽死財団」が設立された。この財団は、「オランダ自発的安楽死協会」のように法改正を求めて社会運動をする市民団体ではない。どうしても自発的安楽死をしたいと思う患者に、「良い死の迎え方」の援助をしたり、また、「安楽死をしようかどうか迷っている患者」や、「しぬことを嫌っている患者」を、無理やり、安楽死させることがないように、理論的・学問的にいい方法を模索する「学者の頭脳集団となる」のがその目的であった。したがって、オランダ社会における「安楽死をめぐる活発な議論」を盛んにするための努力を重ねて、多くの図書などの出版活動を行った。その後、裁判所などにおいてもこれらの出版物が参考にされ、「自発的安楽死の実行に際しての要件の研究」などについて、参考資料として活用されるようになった。