ベトナム戦争33
出典: Jinkawiki
戦争の起源
第二次世界大戦後の1946年末からフランスはインドシナ一帯を植民地として再確保するために戦争に乗り出す。(これを客観的に第一次インドシナ戦争という。抵抗したベトナム側は抗仏戦争と呼んだ。)1950年になるとアメリカのトルーマン大統領は、窮地に陥ったフランスを救うために、軍事援助を決定し、インドシナのフランスに武器弾薬を公然と送り続けた。したがってフランス軍と戦っていたホー・チ・ミンを最高指導者とするベトナム独立同盟(ベトミン)側も50年以降、フランスはアメリカの援助なしに戦争を継続できないでいる、フランスは自分自身のために戦っているが、同時にまた「アメリカの雇い兵」でもある、と分析した。この事実からアメリカのベトナム戦争の起源を1950年前後に定められている。
南べトナム民族主義勢力の統合
1956年以降、南ベトナムのゴ・ディン・ジェム政府は反対勢力の弾圧に乗り出した。南部で労働党勢力を指導していたレ・ズアンは南部革命要綱を作成し、ハノイの党中央に武装闘争を容認するよう求めた。党政治局は、1956年6月の決議で武力を限定的に用いることを認めたがこの時点ではまだ政治闘争による統一選挙の実現を目指していた。1958年夏には南ベトナムの北部にある第5区に革命勢力の訓練基地を作ることを認めたが、武装闘争そのものは認めなかった。その後南部では1960年12月20日に南ベトナム解放民族戦線が結成された。解放戦線の目的は、南部のあらゆる階層の国民に「その社会的地位、政治的・宗教的見解のいずれかにかかわらず」国民としての一体感を培うこと、南ベトナムの自決権、民主主義的自由と私有財産権の尊重、耕作者よる農地の所有、自由経済体制の確立、戦争ではなく交渉による南北統一、という項目が盛り込まれていた。ここからも明らかなように解放戦線は南部社会の多様性を前提に、各階層の利益を守りつつ、単一の政治イデオロギーに支配されず、いずれの大国の軍営にも属さない自由な国家の確立を目指していた。