服部くん事件
出典: Jinkawiki
2008年7月25日 (金) 11:32 の版; 最新版を表示
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1992年10月17日に、アメリカのルイジアナ州バトンルージュに留学していた日本人高校生の服部剛丈(はっとりよしひろ、当時16歳)がハロウィンで家を訪問した。
その際に訪問しようとした家と間違えて別の家を訪問してしまったために、住民であるロドニー・ピアース(当時30歳)から侵入者と思われて銃を向けられた。
ピアースは「フリーズ(動くな)」と警告したが、服部氏は止まるどころかピアースの方に進んだために射殺された。
ピアースは無罪を主張し陪審員制度を望み、刑事裁判ではピアースの正当防衛が認められた。しかし遺族が起こした損害賠償を求める民事裁判では、
正当防衛が認められないとして日本円でおよそ7000万円を支払うよう命令する判決が出された。
この事件からアメリカの銃規制問題に関心が集まり、日本側からアメリカに対し銃規制を求める声が上がるようになった。