日清戦争5
出典: Jinkawiki
日清戦争
開戦
1894年、朝鮮で行われていた甲午農民戦争をきっかけに、朝鮮の支配権をめぐる日本と清は朝鮮に出兵し、同年8月1日に互いに宣戦布告し、戦争が始まった。
終戦
日本は豊島沖の開戦や黄海開戦などに勝利し、数々の主要場所を占領した。そして、清はイギリスの斡旋の動向を知り、日本に講和使節を送った、しかし、その使節には日本は応じなかった。その後、やっと講和条約の草案を具体化し、アメリカの仲介により、下関条約が締結された。
戦争での犠牲
日清戦争の日本側の戦病死者数が約2万人、清国側が台湾を含めて約3万人であった。そして、日清戦争の最中行われていた東学農民討伐によって殺された農民軍は約5万人に上った。この数字を比べると、朝鮮人がいかに多く犠牲になったかわかる。
下関条約
下関条約によって、朝鮮の独立、賠償金2億両(日本円にして約3億円)、遼東半島(のちの三国干渉によって返還)、台湾、澎湖列島が割譲された。
三国干渉
清国から割譲された遼東半島だが、ロシアの南下政策の障害になりそうだったため、フランスとドイツを誘い、三国で遼東半島の清への返還を勧告したものである。そのころの日本は列強と並ぶ国力はなかったため、返還を承諾した。そして、遼東半島を返還する代わりに、3000万両を受け取った。