オランダの文化
出典: Jinkawiki
「オランダ」
・歴史
現在のオランダにあたる地域に定着していたゲルマン民族は、カエサル率いるローマ軍の侵攻を受けたが、紀元前13世紀までこの地にとどまった。肥沃な土地、利用価値の高い川、外敵の侵入を防ぐことのできる低く平らな土地をもつこの地域をねらっていたのは、ローマだけではなかった。 フリースランド人と呼ばれる民族はローマと手を結び、ライン川と北海沿岸を利用した貿易で利益を得た。以来、ネーデルランドはヨーロッパの貿易の中心となった。その歴史は2000年にも及ぶ。フリースランド人がネーデルランドに定住した後、東からサクソン族、南からフランク族が移住。この3民族がオランダ人の祖先といわれている。ローマ帝国崩壊後が、フランク王国の支配を受けた。その後、この低地地方はフランスのブルゴーニュ公やオーストリアのハプスブルグ家などの外国勢力に次々と支配された。彼らはヨーロッパのあちこちに地域を支配する不在地主であった。政治的権力を失ったネーデルラント人はもっぱら貿易と産業に力を注いだ。 1516年、スペインのカール1世がネーデルラント国王に即位。だが遠く離れたスペインにとって、独立気運高まるネーデルラントを治めることが次第に困難となった。さらに宗教改革によってネーデルラントでは国民の多くがカルバン派に改宗、カトリックを国教とするスペインに抵抗した。ネーデルラントの独立を求める戦いは1568年から1648年のおよそ80年間にわたった。当時ヨーロッパの一大国であったスペインにも、ネーデルラントの反乱を鎮めることはできなかった。ネーデルラント諸派はオレンジ公ウイリアムの下に戦い、1579年、北部7州がユレイヒト同盟を結成。1588年にスペインの無敵艦隊がイギリスに敗れたことも幸いして、1609年、スペインと12年間の休戦協定を締結。だがスペインはオランダの独立を認めず、1648年のウエストファリア条約で正式に独立が認められた。しかし、この頃ベルギーなど南部地方は依然としてスペインの支配下であった。 オランダはつらい時代を耐え忍び、ようやく繁栄のときを迎えた。政体は共和制も王制も試されたが、現在のオランダ王国の起源は1813年のウイリアム王子の国王即位にさかのぼる。南部はスペイン、オーストリア、フランス、オランダと次々に諸外国の支配を受けたが、1830年にベルギー王国として独立、1867年にはルクセンブルグも独立した。 17世紀始め、オランダは世界中の国々との貿易で経済的繁栄をきわめ、「黄金時代」を築いた。アジアやカリブ海諸島に植民地が建設されたが、小国ゆえにその繁栄は長く続かず、やがてイギリス、フランス、ドイツにとって代わられた。 第1次世界大戦では中立の対場をとったが、第二次世界大戦ではナチスドイツに占領された。最後の主要な植民地インドネシアは日本に占領されたが、戦後独立を宣言、オランダは1949年に独立を承認した。カリブ海のアルテイル諸島とアルバ島は今なおオランダ領である。
・政体
立憲君主制。議会は上院と下院の2院制。国家元首は国王。政府の最高責任者は首相。 NATO(北大西洋条約機構)とEU(ヨーロッパ連合)の加盟国。オランダ人は倹約家で知られるが、その一方で社会福祉制度に経費を惜しまず注いでいる。だが、経済への負担も大きく、政府は制度の見直しに掛かっている。
・言語
公用語はオランダ語。フリジア語、トルコ語、アラビア語を話す人も若干数ではあるがいる。オランダ人はヨーロッパ随一の語学力を誇る。国民の大半が母国語の他に少なくとももう一カ国語を話す。英語は国民に広く使われている。
・教育
教育の普及率はヨーロッパ有数で、識字率ほぼ100%。中等教育を終了した成人の約20%が、大学に再進学を果たす。外国語教育は特に優れている。
・宗教
オランダはプロテスタントの国というイメージが強いが、国民の約3分の1はカトリック。プロテスタント(25%)はオランダ改革派とカルバン派が主流。国民の37%は無宗教。王室はプロテスタント。
・人口統計
人口は約1560万人。95%がオランダ人かフリジア人。それ以外にトルコ人とモロッコ人の移民がいる。
<文化的特徴>
・考え方
オランダ人は一般的に外部からの情報に慎重である。思考は抽象的で、客観的・分析的な考え方をする。個別の状況の特殊性よりも普遍的な行動模範を優先する。少数の人間との間にじっくり時間を掛けて友情を育む。
・判断基準
是非の判断は、客観的事実の積み重ねによってなされるが、社会民主主義の理念も大きな要素となる。主観的な印象や直感は考慮に入れない。情報の提供についてはきわめて消極的。
・価値観
オランダ人は計画的な国民で、物事をきちんと計画し調整することを重んじる。
・参考文献
① 『世界比較文化辞典』マクラミラン ランゲージハウス出版 T.モリスン、W.A.コナウエイ、G.A.ボーデン著書、幾島幸子訳
② 『比較文化辞典』明石書店 出版 関東学院大学国際文化学部比較文化学科 編集