朝鮮戦争12
出典: Jinkawiki
←前の版 | 次の版→
朝鮮戦争について
現在でも、韓国と北朝鮮の南北問題があるが、朝鮮戦争というと北からしかけた戦争、いや南からだとの議論のされ方が多い。すなわち一つは北、共和国を民主基地とする民族解放戦争論でソ連や中国が国際共産主義運動の世界戦略に従って支援したという説であり、いまひとつは米国のアジア戦略の再編、とりわけ中華人民共和国包囲網論で、政治的に劣勢な南が米国の参戦を引き出す 挑発説などが代表的である。いずれも第二次世界大戦の冷戦構造との関連で説明される。
第二次世界大戦後の朝鮮
米ソの冷戦が朝鮮での軍事的対決を経て、中国、ベトナム、ドイツ、を含む世界的対決に突入した結果論からみれば説得力があるようであるが、国渣政治の枠組みだけが重視され史的・内在的視点が欠如している。朝鮮史から見ると、遠因はすでに植民地時代にあった。1945年、日本が無条件降伏をすると、右派ナショナリスト、地主、有識者はそのあまりな親日反逆行為ゆえに民族反逆のレッテルを貼られて解放政局の担当者になり得なかった。植民地時代の矛盾を打開し、日本と闘争したのは社会主義者と非妥協的民主主義者だけであった。はやくから建国同盟を組織し、独立運動を続けてきた呂運享らは解放直後、建国基準準備委員会を結成。日本の行政権を接収、再建された朝鮮共産党の参加を得て、九月六日親日派、民族反逆者をのぞく幅広い連合体からなる朝鮮人民共和国の成立を宣言したのだ。
戦争の惨禍
朝鮮戦争の死者の数ははっきりとわかっていないが、ロシア史料では北朝鮮と中国の死者数は200~400万人以上、韓国は40万人、アメリカ5万人といわれている。その他、アメリカの推定では多少の誤差があるが、見てわかる通り多数の死者、重傷者が多く、1000万人以上の離散家族を生んだのだ。
参考文献
佐々木毅(2005)『戦後史大事典』三省堂
世界史の窓 朝鮮戦争 www.y-history.net/appendix/wh1602-001.html