チューリップバブル
出典: Jinkawiki
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チューリップ・バブルとは、オランダで17世紀前半に起こった世界最初のバブル経済事件である。チューリップは16世紀半ばにトルコから西欧に渡来した。直ぐにオランダでは変種づくりが流行になり、球根が転売されるたびに値が上がった。まれな品種の球根は異常に価格が跳ね上がり投機の対象になった。同じ球根が1日のうちに10回以上も売買され、球根3個で土地付き の農家が一軒買えるほど高騰した。 バブル経済の発生には、三つの段階に分けて説明できる。 まず需要に供給が間に合わず、物の値段が上がり出す。 そこに投機家が入ってきて、物の値段に不自然な上昇機運を生む。 そして最後に、大衆を巻き込んで、社会の大勢が投機に走り、限界点で暴落と混乱を生む。 この第三段階に至ってバブルの様相を呈し、暴落と混乱を招いた。
1637年2月3日、突然の暴落が起こった。手形は不渡りとなり、支払いきれない債務を負った者は3000人ともいわれる。オランダ各都市は混乱の淵に叩き込まれ、あらゆる債権者が同時に債務者となっていた。債務履行を求めて裁判を起こす者もいたが、債務者に履行能力がないことは明らかであり、事態の解決に有効な手だてとはならなかった。 またたくまにおとずれたチューリップバブルの崩壊を受け、政府高官は、チューリップの価格がこれ以上下落する合理的な理由は何もないと公式に宣言したが、それに耳を傾けるものはいなかった。価格下落に対する救済措置として、オランダ政府はさらに、チューリップ売買におけるオプションを契約価格の10%で清算するという方針を打ち立てたが、実勢価格がそれをさらに下回ってしまったために、まったく実現しなかった。そして、チューリップの価格はその後も下がり続け、最終的にはほとんど取引が成立しない価格水準まで落ち込んでしまった。 オランダのチューリップバブルは、チューリップそのものの取引が成立しない状態、つまり、値段そのものがつかない状態にまで崩落することによって終焉した。 チューリップ・バブルは、オランダ経済やその後の歴史にほとんど影響を残さなかった。植物愛好家は高価なチューリップを求め続けたし、他の産業が打撃を受けたという史料も見つかっていない。例外的に見てとれるのは、精神文化への影響である。節制・禁欲を旨とするカルヴァン主義的美徳観が復活し、チューリップ相場に参加した者を露骨に批判するパンフレットが出版された。チューリップをローマ神話の女神フロラに喩え「貪欲なフロラに貢ぐ愚か者たち」と批判された。その後オランダ人は一時的にチューリップを憎むようになり、オランダ人の間で教訓として語り継がれた。